SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2018年

01月18日

(木曜日)

広辞苑と三浦しをん

販売開始早々、LGBTの説明誤りの残念なニュースですが、
新・広辞苑、「LGBT」の説明に誤り 岩波書店が修正を検討

個人的に手を回して?入手した予約特典非売品付録、三浦しをん執筆の「広辞苑をつくるひと」😂
ちゃんと岩波文庫の装丁(よく見ると多種多様の生き物が‼︎)、
カバーには「をも見よ参照(図書館用語)」?のような手指のイラストがうっすら描かれている!
広辞苑5
三浦しをんの探訪シリーズのスピンオフ?「舟を編む」の読者ならずとも興味津々!

小冊子といえども、本にまつわる仕事の末端にいる人間にとってはマニアックな情報満載だ。
三浦しをんが取材するのが、岩波書店本社の編集部ではなくて、言葉の差異(特に"動詞")にこだわり語釈や用例を担当する国立国語研究所、初版刊行時から活字を開発してきた大日本印刷、辞書のイラストを担当してきたデザイナーと監修者、本体を入れる函を作る製函所、そしてラストは製本会社、というラインナップがイイ!

紙ベースの辞書が好きだけれど、言葉を言葉で言い換えただけにしか思えない不全感を抱く事が多い。
今回国立国語研究所のインタビューの章を読んで、研究者もそこのところをなんとか改善しようと、並々ならぬ苦心と努力やこだわりをもっている様子に触れて、予想以上の途方もない時間や労力に驚くとともにワクワクした。

「ほかの言葉を借りないと、ある言葉の説明はできない。でも言葉を使えば使うほど、意味が逃げていくような気持になることがあります」・・・
 語釈を書くときのポイントとして、「なるべく短く、端的に」というのはもちろんのこと、「むずかしい単語は使わない。語釈に出てくる単語の意味がわからず、また辞書を引かなきゃいけない、という事態が起きないよう、なるべくわかりやすい単語を使って説明する」というのが重要なのだそうだ。
(第1章 国立国語研究所 言葉の差異に萌える辞書の猛者)

特に"動詞"の語釈を検討する女性3人チームの奮闘には目から鱗が落ちた。ってか、これまで辞書の編纂に携わってきた歴史を思えば男性目線での辞書作りであったから、特に"家事用語"などが抜けおちていたり大雑把なのだ。
今回のLGBTの説明誤りの件でも、"名詞"の分野担当に、ジェンダーや性への正確な見識が備わっていれば防げただろう。
「舟を編む」でも若い女性(映画では黒木華)が編集者の一員となって新たな視点が広がっていたことを思えば、三浦しをんの辞書への思いがさらにわかってくる。

2018年

01月16日

(火曜日)

アンナチュラル

先週から始まった「アンナチュラル」

アンナチュラル

脚本が「重版出来!」や「逃げ恥」の野木亜紀子のオリジナルとなれば期待します。
第1話は作り込み過ぎではと言いたくなるほどの展開、いや~これまでの原作本アリの脚本とは明らかに力の入れようが違うんでは?

解剖医といえば、パトリシア・コーンウェルの「検視官」シリーズが強く印象にありますが
(余談ですが彼女は巨費を投じて「切り裂きジャックの謎解明を図ったとか、その情熱はどこから?)

この石原さとみ演じる執刀医三澄ミコトは仕事を誇りに思ってはいるものの、ことさらにそれをアピールすることなく淡々と事実の解明を目指していて、「校閲ガール」のテンションの高い演技とは一味違って、安心。
相棒の検査技師にご贔屓役者の市川実日子!
それほど好きじゃないけど気になる井浦新(私の中ではいまだにアラタ)のワルぶりがふてぶてしくて◎
窪田正孝も今回は情けない風味だしててヨシ。

同じ時間帯では、NHKの「女子的生活」

女子的生活

初回見た感じでは合格点?(エラソウ!?)
原作の方がよりキキメがありそうだ。
女子的生活_l

2018年

01月16日

(火曜日)

否定と肯定

「否定と肯定」
否定と肯定

個人的には、英米の法廷事情の違いや、(断定はいかんと思いつつも)自己主張ありきのアメリカ人と交渉ありきのイギリス人、、雄弁と寡黙、そんな違いが顕著に見て取れることに感じ入った。おまけとして、最近再放送されたカンバーバッチのホームズシリーズの宿敵モリアーティを演じたアンドリュー・スコットの控えめな演技に魅了されたし、兄のマイクロフトを演じたマーク・ゲイティスも証人の一人として登場しているし。

昨年末に来日した原作の著者や映画に関する毎日新聞記事を読んであらためて、日本の現状はこうした事態に抵抗できるのかという懸念にとらわれる。

水説
「否定と肯定」に学ぶ=中村秀明
毎日新聞2017年11月29日 東京朝刊
「ヒトラーはユダヤ人の大量虐殺を命じていない」「ホロコーストはなかった」
 そう主張する歴史家に、自らの著書で反論した歴史学者が名誉毀損(きそん)で訴えられる。争いようのないはずの事実が、審理にかけられた裁判が2000年のロンドンで繰り広げられた。

 来週末から公開される映画「否定と肯定」はこの事実に基づいている。訴えられたデボラ・リップシュタットさんが最近来日した。彼女は「こんなに今日的な意味を持つ作品になるとは思ってもいなかった」と切り出した。

 映画化が持ち上がったのは09年だった。当時は「フェイク(偽の)ニュース」という言葉もトランプ現象もなかった。自分の立場に好都合だったり、自らの思いや願望に沿っていたりすれば、虚偽でも不確かでも、その情報を受け入れるといった風潮は想像すらできない時期だ。

 今や歴史上の出来事やどんな視点からも揺るがないはずの事実が、攻撃され危うい。彼女は語った。

 「個人的な意見や解釈は構わないが、個人的な事実などはありません」

 「なぜ起きたか、どんな背景があったかを議論する余地がある。しかし、事実かどうかは議論できないのです」

 映画では老練な法廷弁護士の存在感が光った。「現場を知っておきたい」とアウシュビッツ強制収容所跡を歩き、かつて何が起きたかに思いをはせる。その夜、感想を口にする場面がある。

 「何を感じたの」と問われ、彼は「恥だ」と答える。さらに表情をこわばらせ「そして恐怖も」と語り、「私もあの場にいて命じられたら従わざるを得なかったかもしれない」と言葉を継いだ。

 差別主義や排外主義を小さな芽のうちに摘みとり、身近な偏見や憎悪を戒めなければいけない理由がここにある。世の大きな潮流になってしまえば「おかしいよ」と言い、「いやだ」と抵抗するのが難しくなる。私たちは弱いし、流されやすいのだ。

 リップシュタットさんは滞在中、2日にわたって靖国神社の遊就館を訪れている。特に特攻隊員の遺書に関心を持ったようだ。後日、メールで感想が届いた。

 「祖国のための犠牲に敬意が払われるというのは理解できるが、疑いようもないほどの称賛には不安をおぼえました」という。
 そして「むやみな称賛が若い世代に与える影響が怖い。私は見ていて悲しい気持ちになりました」と締めくくってあった。(論説委員)

人模様
ホロコースト否定派と対決 デボラ・E・リップシュタットさん
毎日新聞2017年12月2日 東京夕刊ナチス・ドイツによるホロコーストの否定論者とユダヤ人学者の法廷での対決を描いた映画「否定と肯定」の上映が8日から各地で始まる。原作者で米アトランタのエモリー大学のデボラ・E・リップシュタット教授(70)が東京の日本記者クラブで会見し、「なぜ起きたのかという議論は大いにあっていい。だが事実は否定できない」と語った。

 「大量虐殺はなかった」と主張する英国の歴史学者が、著作を通じて批判するリップシュタット教授を名誉毀損(きそん)で訴えた裁判が2000年にロンドンであった。映画はこの実話に基づき、英国出身のミック・ジャクソン監督が重厚な法廷劇に仕上げた。「私は歴史が裁判にかけられたと受け止めた。弁護団の戦術の深さで勝利できた」と同教授。

 ナチスの高官ラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件を題材にした「ハイドリヒを撃て!」も今夏、日本で公開された。「この事件も事実。私たちは映画を通じて歴史を知ることがある。大切なのは平和な未来につなぐこと」【明珍美紀】

藤原帰一の映画愛
否定と肯定 ホロコーストめぐり欧米と日本に距離感
2017年12月3日 04時02分(最終更新 12月3日 04時02分)
ホロコースト。ユダヤ人を中心とする人々に対してナチス・ドイツの行った暴力的迫害、強制収容、そして大量虐殺ですね。二度とこのような殺戮(さつりく)が起こってはならない、起こすことを容認してはならないという決意が、第二次世界大戦後の世界、少なくとも欧米諸国を支えてきたと言っていいでしょう。

 それでも、ホロコーストはなかったという議論を立てる人がいます。殺害された人数がニュルンベルク裁判に認定された600万人よりも少ないという主張に始まって、強制収容所にガス室は存在しなかったとか、ヒトラーによる虐殺の指示はなかったという主張、さらにホロコーストはユダヤ人と連合国によるでっち上げだという主張もある。この映画はその、ホロコースト否定に関わる実話の映画化です。

 アメリカの歴史学者デボラ・リップシュタットがその著書「ホロコーストの真実」においてホロコースト否定論を退けたところ、その著書で言及のあったイギリスのデイヴィッド・アーヴィングが、名誉を傷付けられたと訴えました。訴えた場所がイギリスなので、争うならイギリスまで行かなければならない。また、名誉毀損(きそん)なら訴えた側が立証すればよいように思いますが、イギリスの司法制度では訴えられた側に挙証責任がある。刊行したペンギン出版と協議の末、リップシュタットは裁判で争うことを決めます。

 ただ、なかなかうまくいかない。まず、弁護士が、依頼を受けて法律相談に応じるソリシターと、証拠調べや法廷での弁論を行うバリスターに分かれているのがよくわからない。裁判を準備する弁護側の方針も理解できない。リップシュタットは法廷で自分の主張をしたい、ホロコースト犠牲者にも法廷で証言してもらいたいと希望しますが、弁護側から、どちらもダメだと証言を封じられてしまう。私が訴えられてるのに証言させないなんて、この裁判おかしいじゃないか。このままではホロコースト否定論が認められることになる。映画は、訴えた側と訴えられた側ばかりでなく、リップシュタットとその弁護団との食い違いを基軸として展開します。

 俳優のおかげで成功した映画です。リップシュタット役のレイチェル・ワイズは、理想のために突き進みながら、愛くるしいので人を遠ざけない。「ナイロビの蜂」では、外交官の妻でありながらアフリカで人体実験を行う製薬会社の告発にまっしぐらというヒロインを演じました。今回もその延長線上みたいな役どころです。

 他方、弁護団は曲者(くせもの)ばっかり。ソリシターを演じるアンドリュー・スコットはテレビの「SHERLOCK/シャーロック」や007の新作で悪役だった人ですし、法廷弁護士はイギリスきっての名優トム・ウィルキンソン。純朴なヒロインと曲者の博覧会みたいな弁護団という対照ですね。

 それにしてもこの映画、ホロコースト否定はとんでもないという理解が確立しているからこそ成り立っているわけで、そこに日本との距離を痛感します。だって日本では、南京大虐殺はなかったとか従軍慰安婦は娼婦(しょうふ)だったなどという議論が当たり前のように行われている。ホロコーストについても、ガス室はなかったとかいったことを唱える人が日本では少なくありません。歴史修正主義が「とんでもない議論」ではない社会なんですね。

 邦題は「否定と肯定」ですが、映画の原題はディナイアル、つまり「否定」。そこには否定と肯定のバランスをとるのではなく、歴史上の事実を否定するなんて信じられない、あってはならないというスタンスがあります。邦題と原題とのズレのなかに、歴史問題をめぐる欧米と日本との距離を感じました。(東京大教授)

シネマの週末・時代の目
「否定と肯定」 虐殺の「真実」を裁判で
毎日新聞2017年12月8日 東京夕刊
ナチスによるユダヤ人大量虐殺の存否をめぐり、20世紀末に実際にあった裁判の映画化。「アンネの日記」「夜と霧」などの書籍、映画も数多くあり、否定自体に驚いたが、実にタイムリーな作品である。米国の歴史学者リップシュタット(レイチェル・ワイズ)は自著で、歴史家でホロコースト否定論者のアーヴィング(ティモシー・スポール)と真っ向から対立。アーヴィングは、リップシュタットを英国王立裁判所に名誉毀損(きそん)で提訴する。英国の法廷では訴えられた側に立証責任があり、歴史の真実を争う裁判が始まる。

 リップシュタットの弁護団はアウシュビッツで事実を検証。アーヴィングの日記や著書から矛盾を突き、差別主義的発言を引き出す描写は鮮やかだが、裁判映画特有のカタルシスは低い。評決とは別に、同じ土俵に上がって衆目を集めたことで、否定論者は半ば目的を遂げたとも受け取れる。アーヴィングは実際、メディアで持論を展開し続ける。歴史への「否定」を唱え続けることで、権威や説得力を持つ現実は今も山積している。南京大虐殺、沖縄集団自決などに目を向け考えをめぐらすのに最適な作品でもある。ミック・ジャクソン監督。1時間50分。TOHOシネマズシャンテほか。(鈴)

2018年

01月13日

(土曜日)

コードネーム・ヴェルディ

年末に読み始めたのになんだかんだで時間がなくて第一部終わったところで止まってた「コードネーム・ヴェルディ」
ヴェルディ

今週ようやく第二部に突入して一気読み。これも第二次大戦中のナチに関連した物語。
二人の少女の、果敢で健気で、時に混乱しつつ、時に冷静沈着な行動と思索。

史実を詳細に調査しそこから作り上げた著者の力量に敬意を!

ヤングアダルトのジャンルに入れられているとはいえ、どうしてどうして。
ってか、ヤングアダルトの方hが大人向けより、よりセンシティヴでしょうよ!
この小説の世界に入れなければ、物語読みとして退場しなければあかんやろ、という己に向けたメッセージ!
いやいや途中で投げ出さなくてよかった!第二次大戦中という時代性の制限はありつつ、それを超えた普遍的な少女たちと周囲の大人世代も取り込んだシスターフッドに揺さぶられます。

と、この物語を読んでない人には極めて不親切な文章であるけれど、読んだ人にはわかってもらえるはず!

2017年

12月30日

(土曜日)

キャベツ炒めに捧ぐ

ひょんなことから読んだ井上荒野の「キャベツ炒めに捧ぐ」

キャベツ炒めに捧ぐ_


60代女性三人が営む総菜屋「ここ家」、三人とも料理と食べることが大好き。それぞれの人生は酸いも甘いも盛りだくさん。

井上荒野の印象が変わった。こんな心温まる話も書く人なんだ。(ってかそんなに彼女の小説読んでないじゃないか)

私には同級の幼なじみの親友がいる。大昔に、三人で好きな店をやって暮らそうか、てな夢を見てたという記憶を思い出しました。
本屋と喫茶店と食事処だったけか。。。
年齢を重ねることの喜びと寂しさ、年の瀬に、柄にもなくしみじみとして。

言葉の意味を軽くしたり言い換えたりする「かの人」の所為で、きな臭くなってきている日本ですが、なんとかしないとね、という心づもりを忘れず踏ん張りましょう!
来る年に幸あれと願います。皆さまよいお年を。

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