SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2012年

02月13日

(月曜日)

少しじっくり考えてみた

「灼熱の魂」について書いた“釈然としない感じ”はなぜなのか、
すでにわかってはいるのです。ただうまく表現できずもどかしい。

“悲劇の主人公”ナワルが怨嗟を強い復讐心に転化して闘士になってしまうことに、
執念や執着心が薄い私はついていけず、
“戦う男性”化していくことでナワル個人が、
民族間宗教間の紛争の中に一般化されてしまうというか・・・

映画の制作サイドが、
女が愛する男の子どもを産むことに感じる(と想像される)“喜び”を
むごい結末に収斂させることを通して語ろうとすることに強い違和感を感じるのは、
悲劇性を増幅するための道具立てに思えるから。

これから映画を見る人のために、真相を書くことは控えなければならないが
ことさらに母性や無償の愛や犠牲的精神や不屈の魂や圧倒的な至上の愛などを
想起せずにはいられなくなるようなものはやはり苦手なのです。

「灼熱の魂」は映画としての是非はともかく
(私にはあざとい映画と思えるのは自分が浅はかだからだと自覚してますよ)
映画の結末で
ナワルを、容赦なく厳しい人生ゆえに圧倒的な“母”に仕立てようとしている
ように思えることが腹立たしいのでしょう。
途中まではころころ決意を翻したり勢いで行動を起こしたりする若いナワルを
あぶなっかしいながら見守っていたんですがね~

コメント

●NO TITLE

いや~、予め覚悟はしていたが、
見終わった後の気持ち悪さは、
ある意味、期待以上だったわ~

●Re: NO TITLE

> いや~、予め覚悟はしていたが、
> 見終わった後の気持ち悪さは、
> ある意味、期待以上だったわ~

シネマでつながる会のブログ読んで“我が意を得たり”です。
ありがとうございます!
http://tsunagarucinema.blog71.fc2.com/blog-entry-163.html

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