SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2011年

12月23日

(金曜日)

毎日新聞から

毎日新聞は4大新聞?と言われる中の最少購読者だと思われ、
周囲には一人しか定期購読している友人がいません。

が、メジャーメディアの中でよくも悪くもどっちつかず?だし、
女性記者の視点がけっこう面白いので読んでいます。

最近ほぉっと思った記事2点を。

『毎日新聞』2011年12月16日(金)朝刊
私の社会保障論 興味深い新市長のあいさつ=湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長)
http://ceron.jp/url/d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20111217/p2
 
『毎日新聞』 2011年12月9日 東京夕刊
特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 作家・篠田節子さん
 <この国はどこへ行こうとしているのか>
◇「拒絶」では変わらない--篠田節子さん(56)
1990年のデビュー以来、その作風はひとくくりにできない。現代社会の断面を切り取ったミステリー、パニック、ホラー、サスペンス、SF……さまざまな「仮想現実」を描く小説家の目には、3・11以降の「この国」がどう映っているのだろうか。
「あの頃、担当編集者から『篠田さんはフラットですねえ』とビックリされたんです。どういうこと?と聞いたら、『他の作家は心理的にとても書ける状態じゃないのに、篠田さんは震災後も全然変わっていない』と言うのよ」
 変わりない? やっぱり謎めいている。
「なんで事が起きてから慌てるんだろうって。細かく見ていると、ほとんどが予測できたでしょ。小説家が警鐘を与えるようなものを書くのは、作品的に評価されることではないんですけど、『黙っていられない』という自分自身の危機感がものすごくあって」。そうして生まれた作品の世界は、未知の伝染病や穀物危機などにさいなまれ、読後感は決して良いと言えない。それは日本の行く末を暗示しているように感じるからか。
取材を申し込んだ時、篠田さんは「『静かな黄昏(たそがれ)の国』という作品を読んでいただけたら」と言った。
<終(つい)の住みかは、本物の森の中にしませんか?>。終身介護施設の営業マンの言葉を信じ、自然に囲まれた「リゾートピア・ムツ」に向かう老夫婦を待っていた現実とは--。96年秋に発表された短編を今読むと、改めて小説家の想像力のたくましさに脱帽する。放射能汚染に苦しむ「フクシマ」を予見するだけでなく、産業空洞化した日本型資本主義や、最後の共同体である家族の機能が失われる過程をリアルに想起させる。同時期の長編「斎藤家の核弾頭」(97年)では、くしくも「平成23(2011)年」に大地震が襲い、混乱と転落を重ね、いびつな制度で再生する日本を描いた。
「昔から原発にはすごく危機感と興味を持ってまして」と語る篠田さんは70年代に高校、大学生活を送った。人口増大と資源枯渇、食糧危機などを警告し世界を揺るがせた「成長の限界--ローマ・クラブ 人類の危機レポート」(72年)に触れたのもこの頃だ。「私たちより少し上の世代は新左翼運動に目が行ったけど、私の年代のトピックは環境問題だった」。40年の時を経て、その警告はより現実味を増している。
「一つ、本当に知ってほしいんですが……」。突然、作家はこう切り出した。「94年ぐらいから私、東京電力の委員をやっているの」。先ほどの笑みが消えている。「あの2作を書くのに3、4年かけたんですが、なかなか細部が決まらなくて。そんな時に東電から声がかかったんです。“勉強する”には最高だと思って引き受けたの」
 東電の活動に意見を言う委員に名を連ね、核関連施設が集中する青森県六ケ所村、むつ市などを訪ねて、「関係者以外立ち入り禁止」の区域まで見学した。「金属ウランの燃料棒ってどんなもの?にはじまり、放射性物質をガラス固化してステンレス製キャニスター(容器)に入れても割れない保証はどこにある?とか、あらゆる質問をした。そしたらはっきり見えてきたんです、どれだけ怪しくて危険な物か」。放射性廃棄物処理施設の周辺に残る自然のままの手つかずの森。この皮肉な対比が、小説の重要なプロットにもなった。
 登場人物にこんなせりふがある。<どうも人間の根本的な知性のレベルが変わっていないというのに、小手先の技術だけ発展するものだから、いろいろ面倒なことになる>(「斎藤家の核弾頭」)。ないまぜになる虚実--。
 公務員経験もある篠田さん。「役所は今、身動きが取れなくなっちゃっていると思いますよ。過剰な優しさ、共感を求める社会。こんなに苦しむ人々がいるというところで、エモーショナル(感情的)に反応し、メディアとネットを通じて、リーダーシップのあり方も変えている。有効な政策があっても動けないし、大衆の気分に迎合せざるを得ないとかね」。3・11以降、作家にも何ができるかといった風潮が生まれ、親原発と反原発の色分けもされた。
 「10年以上前から、私みたいに批判的な作品を書いたりする委員がいたり、委員会内部でも『(東電上層部は)このまま原発でいくつもりだから、再生可能エネルギー開発が進まない』といった批判的な議論の応酬がされていた。推進側の文化人らだけが集められていると思ったら違います。人間、そんな単純じゃない。反原発だから電力会社に近づかず拒絶する態度は、鬼畜米英で欧米文化を学ばずに、あげくに戦争に負けた日本と似ている」と篠田さん。
 一方で「問題は、言いっ放しになっちゃうこと。ああした声がどこかで生かされていれば」と視線を落とした。
 実は篠田さんの母親は宮城県出身で、親類が被災した。「南三陸町に住む親戚は津波で家を流されました。2週間ぶりに高台に住む80過ぎのいとこと連絡が取れたら、『電気もガスもないけど大丈夫。山でわいた清水を沸かして風呂に入って飲んで。昔、マグロ船に乗ったことに比べりゃ、こんなのつらくもない』と言われて、何も言えなかった。やっぱりプリミティブ(原始的)な強さってある」
 東京・八王子に住む篠田さん。計画停電で気付いたことがある。「近所の畑でお百姓さんが普段通り、くわで耕していたんです。梅の花と菜の花が咲き、きらめく光と鳥のさえずりの中で。大きな影響を受けた生活の横で何も変わらない平和な春があった」。それは国民一丸で悲しみ、不便な生活に甘んじようというのではない。もちろん経済や技術の発展も欠かせない。
 「これからはいろんな場面で個人個人の賢さ、本当の意味の知性が試されるでしょうね。それと多様性を認めることが大切。おのおのができる部分でそれぞれの立場で着実に活動していく……一丸はもう無理です、危険すぎますよ」
 何も考えずに流されることは愚かしくて恐ろしい--。自らにもその危険を警告し続ける作家は、ほほえみながら席を立った。【中澤雄大】

(この男性記者、わからぬでもないが篠田節子のたたずまいに魅了されてる感いっぱいです、トホホ)   

篠田節子の「はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか」読み始めました。
いや~面白い。

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