SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2010年

11月20日

(土曜日)

冬と“超然”

あら~日々の営みに追われて
(それほどたいそうなことをしているわけではないだろ~^_^;)
ブログ更新が1週間以上滞っておりました。
今日は夜灯前夜祭、雨と風が苦手な灯篭まつりなので天気が気になるところです。

12月生まれだからというわけではありませんが、冬がけっこう好きです。
雲ひとつ無い晴れ渡った空の下ひんやり冷たい空気が、
ぼんやり人間の私の背筋を伸ばしてくれます。
北風に向かってずんずん歩くとなんだか単純に“勝った”という気分になる!
(「うう~さぶっと肩を縮ませてはあきませんで~)

生まれ故郷の博多は九州とはいえ気候は山陰地方に似て、
幼い頃は冬には雪がけっこう多かったです。
どんよりした空を見ると気が滅入りがちになりますが、
からからに乾いたプラタナス落ち葉が道の脇でカサコソいってるのも
沈みがちな気持ちを助長して、「それならそれでもいいかっ」と
“超然”の境地にしてくれたりするわけで・・・
なんか適当にこじつけていますが(^.^)

「妻の超然」1102963443.jpg
毎日新聞書評  日経新聞書評  読売新聞書評

どれもいま一つしっくり来ないが、毎日新聞の評に一票・・・

「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の中篇3作。
3番目の作品に著者は思いのたけをぶつけているようです。
“父的なもの”・・・家長的な何か、社会を分析する何か、
ぶれない常識を持つ何か、規範を全うするなにか・・・
現実にはすでに消えかかっていて見当たらないものだから、
それを新聞や文学に求めてしまう現代人(といっても、中高年世代以上にすぎないかも)に
そんなものは幻想だ、と宣言する著者、書き終えた後は消耗しただろうなぁ。
そんな宣言をしたところで徒労に終わってしまうことを誰より自覚しているわけで。

感受性が鈍い私としては“超然”は憧れのキーワード。
“超然”を上っ面に貼り付けて、泰然自若と周囲が見てくれればもっけの幸い。

“超然”を肯定した話をなんとなく期待していた私は
“超然”は“怠慢”でもあると、文中に出てきたとき、
あちゃ~やっぱり!残念!でも図星かもと腑に落ちた気がします。

あがいたりうろたえたりざわついたりすることをうっちゃって、
低温状態で冬眠しているような心根を恥ずべきでしょうが、
目を背けていますな~自分。
とはいえ“超然”とするためにはいろんなことを取り繕ったり
耐えたりする必要もあり、凡人には難しいがゆえに“変人”扱いされ
“孤独”とは隣り合わせ。

ともあれ“超然”はなんだか急に注目されているキーワード?
町田康の最新作は「どつぼ超然」

絲山秋子も町田康も、脳内画像や周辺の音でもなんでも常に言語化してしまう習性?
(絲山秋子の文章は絞り込んであり、町田康はダラダラと見えてかなり選び抜いた文章?)
その“力”に、言語不全の私などは心地よく(時には目眩しますが)圧倒されます~

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