SpaceFわひね(wahine) 

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2017年

01月13日

(金曜日)

「ら抜き」言葉、多数派に

毎日新聞の今日の「論点」 「ら抜き」言葉、多数派に
http://mainichi.jp/articles/20170113/ddm/004/070/010000c

戯曲「ら抜きの殺意」を書いた永井愛さんのことばに「したり!」と大きくうなづいた。
少し長くなりますが、うなづいた部分を抜粋。

今「ら抜き」以上に気になるのは、過剰敬語の氾濫だ。「させていただく」どころか「書かさせていただく」など、余計な「さ」が入ることもある。あれはクレームを恐れる言い方だ。

 ら抜きは率直な言葉だとも言える。抜いても通じるじゃん、建前より本音を出していこう、というような。過剰敬語はこれとは逆だ。本心では全くそう思っていないのに、過剰に敬語を使うことで自分を偽り「謙虚な人間」をアピールする。「欺瞞(ぎまん)の言葉」に思えてならない。言葉そのものより、言葉が表す精神が嫌なのだ。

 言葉は使い手の人となりや生き方を表す。私たちは人の言葉の間違いをただす前に、自分がどういう言葉を使うかについて自覚的であるべきだ。「させていただく」のような欺瞞の言葉は使わない、というように。正しい言葉を使うということではなく、自分の言葉に責任を持つということだ。

 実は今、言葉をおとしめているのは、ら抜き言葉を使う若者ではない。政治家だ。自分のやりたいことに理解を求めるためではなく、隠すために語る。「強行採決など考えたこともない」。ああいう言葉を聞くたびに、言葉という存在を侮辱されているようで悲しい。

ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20170113/ddm/004/070/010000c#csidx4a370828eb02b2cb2da1672d9bfc600
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言葉を軽んじることにかけては若者にも劣るわたしですが、営業マンだけならまだしも、政治家(セイジヤ)がよく議会で述べている「○○とお示しさせていただいて・・・」というフレーズに寒気を覚えていたので、永井さんの指摘にわが意を得て、このことをもっと大きく取り上げて欲しいものだと鼻息を荒くしてしまった。。。

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