SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2015年

07月24日

(金曜日)

とらわれない生き方

ヤマザキマリの「とらわれない生き方 母として」 
~「いいお母さん」プレッシャーのかわし方~
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「親と子は別個に生きるものだと、こどもが小さいときから思ってました」
「神様はちゃんと、子を育てる女には1.5倍ないし2倍の時間を与えてくれているんじゃないだろうかと思うほど、以前に増していろんなことができるようになりました。・・・時間という概念も、人それぞれのとらえ方です。あなたと私の"1時間"は違う。だから世間の声に惑わされちゃいけません。・・」
「ただ日本のお母さんは、もっと柔軟に、もっといい加減になっていいとは思います。そして、子どもに自分の格好悪さやそそっかしさを隠さず見せる。実際そのほうが子どもは育ちますし・・・」
「物事のきれいな面、いいところだけを見ていたいのはその人自身の生きる力が弱ってる、ってことなんだと思います」
「子育ても、非常にエネルギーが必要なことですよね。いろんな感情を動かされ、いろんなことを考えらせられる。自分のダメさも浮き彫りになります。だからしんどいときは、あなたの感受性が養われ、生きる力が鍛えられているときでもあるんですよ」
「子どもを可愛く思えないときは、まず自分を好きになることを募らせていけばいいんじゃないんでしょうか。「この子を愛さなければ」と自分にプレッシャーをかけるよりも。」
「母親は、自分にトラウマがあろうがなかろうが、どんなときにも思い出さなければいけないのは、「子どもはあなたが思っている10倍は、あなたのことを愛している」ということです。


 などなど、私には「だよね~」とうなづけるところが満載でした。
 ある意味私自身がやってきた反面教師的無責任子育て?を裏付けしてもらったような?我田引水したくなるような話もあり(もちろんスケールや真剣度は比べることすらおこがましいですが)溜飲を下げましたね(図に乗ってはいけない)
彼女のエッセイを折につけ追っかけてきた私には「おお、あのデルス君が大学生に!」と感じ入り成長を喜びました^^:

私自身は子育て時代は過ぎている(はず?)つもりなので、もっぱら軽い気持ちで、ヤマザキマリの新作エッセイだ、と手にしたんですが、なかなかどうして、装丁も文章も軽妙なれど、世の悩める親たちや、悩んでない親にこそ読んで欲しいものです。
と思いながら、昨日の集まりでこの本の狙いをさわりだけ話したところ、「世間的に踏み外さず生きてきた人が子育てで壁にぶつかりこうやって克服した!」という話ならともかく
"初めから外れたところで生きてきた人や生きていける人"の子育て話は、"外さないように生きている人"には届かないかも、という、残念な見解に。
 確かに、自分が築いてきた周囲から後ろ指をさされないような来歴をもち、志向している"正しいアガリの人生"にゆるぎない信念を持っている人たちにとって、子育ても自分でコントロールできるということに懸念や疑いをもつことは"負け"なのかもしれません。
でも現実はそう甘くはなく、挫折体験が少なく、周囲からの評価の大きさに自己存在価値を託している人たちが、壁にぶつかった時、どんなことが起きるのか、老婆心で心配になるのです。
私自身はエゴイストなので、ある時期自分の楽しみを抑えることを、自己犠牲とは考えたくなくて、期間限定の忍耐力自慢とか吹聴してごまかしたり、失敗や挫折を笑い話にして周囲の友人たちと披露しあって客観視できたことでずいぶん救われました。しっちゃかめっちゃかだった子どもたちの乳幼児期を、長屋のように互いに行き交って過ごした人たちには、いまだに"戦友""同士"の思いがあります。
 ヤマザキマリのように世界中を移動したりさまざまな人種の人たちとの交流というレベルではないけれど、いろんな家庭・家族・社会・仕事・世界の一端に触れることができた暮らしを、まんざらではなかったと愚息たちは思ってくれているだろうか、そんなことを思い返す機会になりました。



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