SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2014年

11月06日

(木曜日)

捨てる、棄てる、残す、遺す、

旧居には15年住んでいました。これまでで一番長い。成人してから長くても8年くらいで移動していたのでその都度生活の諸々を整理してきたつもりですが、存外捨てられぬものも引きずってきたようです。
 今回は終活の前段階?のつもりでスリム化に務めたものの仕事を引退してはいないこともあり、道半ば。。(誰しも息絶えるまでは道半ばですが)
 片付け作業の中で次々に判断をしなければならない時、愚行するのは、「残す、遺す、捨てる、棄てる」が自分にとってどんな意味合いか、でした。今も考え続けています。
 
 たとえば、無印やIKEAの無機質な?収納家具を活用したものや、古い調度品をリサイクルして自然のサイクルに合わせた生活、などがシンプルな住まいのモデルケースとして雑誌などの紙面に挙げられているのをみると、自分の身の回りの無駄をせっせと省かなくちゃ!と駆り立てられます。
無印
が・・・モデルルームのような状態を保ち続けることや、生活臭を極力抑えることは、なかなかエネルギーが必要で、モチベーションを高く持てる人は維持できるでしょうが、根性なしの私にはできそうもないことに当然気づくわけですね。
で、整理は中途半端なまま。。。

"思い出"にまつわる品々(個人的には意味があっても他人には無価値と判断される?)をあらかた思い切りよく処分したものの、困ってしまうのが写真。可燃ゴミとして処分する決断がつきません。。。
自分自身は写真嫌いなので大人になってからはほとんどないものの、アナログ写真全盛時代の記録の数々・・・抜き取られた"魂"?が蓄積されたアルバム・・・被写体となっている人たちの記憶がアルバムとともに消えるわけではないけれど、人間の記憶の容量の限界や曖昧さを思えば、ある程度までは保存する必要もあるのか?
今は過去に執着がほとんどない自分でも、過去も未来も自分自身もわからなくなることが起きた時に助けとなるのか?

なんてことを、作業中、録画しておいた「すーちゃんまいちゃんさわ子さん」を見ながら、つらつら思っていたら、人生の先行きに不安を抱き始めたすーちゃんが、まいちゃんたちへの手紙に「遠い未来について憂うより今を生きることにしました・・・」と彼女なりの言葉で真摯に語るのを耳にしました。自分にはおなじみの言葉なんだけど、すーちゃん(柴咲コウ)の声がタイムリーに響いてきました。
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"捨てる"は"棄てる"とは違って、また拾いに行けたり集めなおせたりする可能性を持っているような気がしています。

後は"残す"と"遺す"についてだな・・・これは友人が教えてくれた「故郷のわが家」(村田喜代子著)を読みながら考えてみよう。読み始めから不思議な感覚、表紙がヒエロニムス・ボスですからタダモノではなさそうです。
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