SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2014年

02月28日

(金曜日)

鉄くず拾いの物語

アメリカの戦後のムーブメントをたどるような映画を続けてみたあとは
(趣味的に見たもう一本も70年代のアメリカだったし)
真逆な社会の現実をえぐる「鉄くず拾いの物語」
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実話をもとに、当人たちが本人を演じた映画。
相当重いだろうと覚悟していたためか、観終わったときは、存外、彼らの生き方が、生活苦に押しつぶされそうであるのに、人生への向き合い方に、諦念とは言い切れない一種すがすがしさのようなものを感じてしまった。傲慢かもしれないが。

父親は、今の稼ぎで暮らせるならそれ以上求めず、妻に内緒の一杯の酒が飲める喜びがあり妻や子どもとの生活に満足している・・・他人の持ち物を黙って解体したり盗んだりすることは想定外なんだなと分って、私自身の偏見に気づく。
ロマの人たちをひとくくりにすることはもちろんできないし、この映画の中でも、長い歴史の中で差別されてきたことを声高に語ることはない。

淡々と貧しい日常が描かれる中で、温厚で朴訥な父親が激昂するシーンが一箇所だけ。妻の急病で彼らが住む村から町へ向かい保険証がないために緊急手術が受けられず「ロマの会」に助けを求めて組織の職員を伴って妻のもとに帰る車の中で、彼は戦争に出征し(ボスニア紛争)目の前で家族をむごたらしく殺された体験を、だれにも語れず何の恩賞も受けていないのは自分たちがロマだからだ、と静かに怒る。

なんとか医者の処置を受けたものの薬代がなく、電気代も払えず電気を止められたもののさほど動じず、動かなくなった自分の車を解体して金を作り、ようやく作業員が来ると彼らを喜んで迎えて感謝する・・・電気が点いたらまずテレビのスィッチ入れて安心する・・・
国や企業、大病院の理不尽な対応の前に無力な中で、諦めず人とのつながりになんとか活路をさぐり、一段落するとまた同じ生活に戻る・・・
「足るを知る」とか「清貧」などという理念のスタイルじゃなくて、底辺で長く暮らしてきた人の強さの前に、わが身のお気楽な日常を振り返る。。。

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