SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2013年

09月17日

(火曜日)

表現する女たち

今日は以前お知らせした千葉市男女共同参画センター主催講座「表現する女たち」の2回目でした。

初回の冒頭で講師吉城寺さんが強調された今回の講座の狙い
⇒長年の自民党政権の中で捻じ曲げられ懐柔されてきた“男女共同参画”(いまだに意味不明でなじめまへん、プンスカ)の危うさやあいまいさをキッチリ指摘し、フェミニズムとジェンダー理解の現況をリアルタイムで伝える(と私は浅いながら受け止めたですが)=
を聞いたとき「よっしゃ~」と心中拍手しました。

講座は、いつもなら後半にある質疑応答の時間もないまま、大学の講義モードでみっちりでしたが講師の熱意に同調する昂揚感と、講師のジェンダー視点の、現在進行形ながらの明解さへ共感を抱いて2回目への期待感。

2回目の今回、配布された前回終了後のアンケートでも同様な意見が散見されて、思いを同じする人たちがいて嬉しかったですわ。

初回のエリザベト・ヴィジェ・ル・ブランについての吉城寺さんの見解にうなづくところも随所にあり、18世紀の女性画家たちへの先入観がダイナミックに変わりました。
今回のメアリー・シェリーについては、関連資料が多いがゆえにかなりはしょられた感ありつつも、これまで抱いていた私の貧相なイメージを大きく膨らませてもらいました。

今回の講座で、「フランケンシュタイン」の副題が「あるいは現代のプロメティス」と知り、原作を読んだ時に保留していた様々な印象が浮かび上がりつながった気がしました。さらに、1994年の映画「メアリー・シェリーのフランケンシュタイン」を見た当時の、ラストシーンへ「オイオイ(怒)」と突っ込みたかった思いの出口がみつかったようにも思われます。
メアリー・シェリーが生きた時代のキリスト教的「父と子」の概念を、現代の人間的な「父と子」のレベルで解釈した制作者コッポラと監督主演のケネス・ブラナー。後知恵ですが私の違和感はあながち的外れではなかったのかという我田引水のカタルシス。

長く生きてきてこれまで保留してきたものが、時機が来て、昇華されたり解消されたり霧散したり、(あるいは妥協したり?)することに心地よさを覚えることの是非はともかく、ジェンダー=ダイバーシティと解釈すると(無理やり?)人生捨てたもんじゃないぞっ、って、息苦しさを抱えている人に伝えたいと思うことは不遜で傲慢なのかもしれないけれど。。。

次回講座ラスト、レニ・リーフェンシュタール(20世紀映画監督)です。毀誉褒貶激しい彼女を吉城寺さんはどのようにとらえていくのか、楽しみです。

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