SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2012年

11月27日

(火曜日)

明日は「3.11震災後を生きる」2回目です

先週11月21日はSpaceF・わひねが企画運営する
千葉市男女共同参画センター主催市民企画講座Ⅱ
「3.11震災後を生きる」
ひと・地域・もの言わぬいきものたちによりそって の初回でした。
飛び入りも含めて20名ほどの参加者がありました。

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1回目のタイトルは「支援者という存在~ジェンダーの視点から」
☆長沖さんが学生たちと立ち上げた南三陸プロジェクトの活動や現地の状況
などを写真も見ながら話していただきました。その基本となる精神は
『「被災地」に行くのではなく、「南三陸町」へ行く』
“被災地”と一括りにするのではなく、日々暮らす人たち個々にできるだけ寄り添い
現地のニーズに基づく地道な活動を継続することの意味は
主体があくまで現地の人々であるという当たり前のこと。
(なのにそれがどれほど困難か。。。)

☆社会的弱者は震災弱者
障害者や高齢者の問題はメディアでも随分取り上げられていますが、
女性の問題には表面化していないことが多くより深刻なことも多いのは
阪神の震災以後少しずつ知られてきてはいるもののまだまだ周知されていません。
今回も、帰宅難民の緊急避難所や被災地避難所での状況などを憂慮して
阪神の障害者団体や各地の女性団体ネットワークが
いち早く支援に立ち上がった話もあり、
現地に行った方も多い参加者の中には長沖さんの話で初めて
ジェンダー視点に気付いたという声もありました。

☆「つながろう日本」、「絆」への違和感⇔震災が露呈した溝・分断・力関係
これは私たちがとても気になることです。
被災者と非被災者、支援者 漁村と都会、田舎と都会、前近代と近代
中央と地方、行政と民間、行政間、民間間、ボランティア間、
女と男、女と母、女と障害者
住人間(被災の違い、仮説と在宅、被災に対する向き合う意識のずれ・・・)

例えばボランティア組織の支援合戦によって本当に必要な作業・仕事ができず
被災者は支援疲れに至るという事態や
がれき処理は費用対効果の面では現地対応がいいと
地元が言っているにもかかわらず
全国展開しようとしているのは“日本は一つ”キャンペーンの狙いだろうし。
(そのために引受に反対する母親たちが自己チュー呼ばわりされる)

※分断を超えるには・・・違いを知ること、違いを認めたうえでつながること

最後に数人ずつ4つのグループに分かれ
「もし自分が支援される立場だったら」をキーワードに話し合いました。
関東に住む私たちも差はあるとはいえ被災しましたが
大多数は深刻な避難生活にまでは至らずにすんでいます。
大量の情報に溺れて、当事者の苦労をもう十分知っているような、
あたかも疑似体験した錯覚に陥ってはいないだろうか
実際に精神的物質的な備えを整えている方もいらっしゃるとは思いますが
自分にとって何が必要かを突き詰めて考えることは
怠け者の私はなかなか恐ろしくてできれば避けたいことで、
最小限、周囲の人に迷惑をかけないように、とか思っちゃいますが
その単純な考え方が、逆に、私より弱い立場に置かれてしまう人を
追い込んだり責めたりすることになりかねないのですよね。

2回目は「放射能といきものたち
~複眼的な視点をもつために~」 です。


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