SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2015年

01月31日

(土曜日)

PLUTO

{プルートゥ PLUTO」
pluto.jpg

浦沢直樹の原作を途中まで読んでいましたが最終話を知らないままでした。
舞台装置に頻繁に出てくる原作コミックの画像に引きずられて
しばらくの間舞台に集中できなかったですが徐々に役者陣の演技と
舞台装置の巧みな展開に引き寄せられます。

「ロボットと人間の物語ではない・・・これは、全人類に叩きつけられる【愛】と【憎しみ】の黙示録
のコピーが、今現実にリンクしている。。。

2015年

01月31日

(土曜日)

美術館ドキュメンタリー映画

「みんなのアムステルダム美術館へ」
アムステルダム美

「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」
ナショナルギャラリーjpg
この2本を同じ日にハシゴしちゃいました。
アムステルダム~に1票、(って比べるもんではないですが)
アムステルダムの人々には民主主義を守る意識が普通だから
交渉すの大変さにも投げださないことがとても健全に思えます!(某国とは大違いだ)
合意を得るまでにうんざりしながらも何度も話合う姿勢に拍手。
キレる館長やら、やたらに日本仏教彫刻に肩入れしてうっとりする学芸員やら、
所蔵コレクションのレンブラントやフェルメールの紹介もそこそこあるものの
市民VS公共施設という図式も興味深いです。

「ナショナルギャラリー~」は、美術館運営というか経営の苦心やらの裏話。  
美術館の"品位"や文化を語るやや保守的な館長と革新的なスタッフとのギャップが
興味深いが、学術的な話やペダンティックな話も延々と続きますが、
コレクションを案内するさまざまなワークショップやギャラリーツアーが楽しそう。

来月は「ヴァチカン美術館天国への入口」
ヴァチカン
いやはや、昨今美術館は資金、財源不足なのか、こんなにドキュメンタリー映画化されてるのは?

2015年

01月18日

(日曜日)

「ふむふむ」のまえがき

昨夜は酔いに任せて一気に書いており、肝心の、まえがきの中の「したり!」と、時代劇なら膝を打つところの箇所を書き忘れてしまった。

 インタビューした十六人は、当然ながら、来歴も仕事の内容もそれぞれちがう。共通するのは、自分の職業に対する熱意と、なんだかちょっと変わっていて愉快なひとだ、ということだろう。個人的には、安易な個性礼賛には同意しかねるのだが、「わざわざ礼賛などしなくても、ひとはみないい意味で『変人』である」と改めて確信できた気がする。真に個性派を目指したいなら、むしろ「凡庸」を心がけねばならないということだ。・・・
 変人ぞろいだからこそ、世の中には多種多様な職業があり、たとえ同じ職業に就いていても、仕事に対する取り組みかたや考え方が各人ごとにちがってくる。「個性」とか「自分にしかできない仕事」をあえて追求しなくても、べつに全然大丈夫なんじゃなかろうか。
 「そのままのきみがいい」と言いたいのでは決してない。そういう「思考停止系自分全肯定」説法は、反吐がでるほど嫌いだ。「いい」「悪い」じゃなく、太陽が東から昇って西に沈むように、ひとはフツーに変人なんだ、ってことだ。そういうふうにできてるんだから、「個性」や「自分にしかできない仕事」についてくよくよ悩むのはよそうぜ、ってことだ。こう書くとまた、「自然体が一番」的な主張に見えてきて、くそう、そうじゃないのに。そんな説法、反吐が出るほど嫌いなのに。
 ことほどさように、職業や仕事についての考えを述べるのは難しい。・・・
・・・「こうではないか」と考えをのべたとたんに、多様で柔軟だったはずの職業や仕事は枠にはめられ、ちんけな標語のようなものに堕してしまう。その職業に邁進する変人たちを「模範的な個性派」という安易でつまらない存在であるかのように見誤り、魅力を大幅に減じさせてしまう。・・・

(下線は拙者)

 自分が見聞きしたことの一端を、この人たちには話したい!と強く思っても、伝えきれないもどかしさにとらわれることがよくあります(ってか、たいていそうだ。だから、こうしてダラダラとここに書いているのかも)。私の場合は、元よりコミュニケーション能力が脆弱だから仕方ないが、三浦しをんの、「仕事論」もさることながら、この悔しがりぶりに、念押しして「変人」の在り様を伝えんとする無駄に熱い言い回しに、わが意を得たり!とつんのめるほどに共感した次第。

2015年

01月17日

(土曜日)

ふむふむ

仕事で女流義太夫を調べていた時にこの本に出合いました。
三浦しをん追っかけファンながら読んでませんでした、ダメじゃん。

ふむふむ

さまざまな仕事に携わる女性たちに三浦しをんがインタビューしたものを単行本化しています。
いやあ、面白かったです。
(挿画がえすとえむだよ!靴職人に注目!)

あとがきに
「・・・みなさん、わりあいに率直で、初対面の人間相手にもある程度心を開いてくださる度量と成熟度をもっていらしたおかげで、私はただひたすら、語られる話に身を委ねていればよかった。十六人のかたが、心を開く勇気と語る言葉を持っているのは、やはり仕事に対する情熱と誇りがあるからではないかと感じられた。・・・」
とあります。インタビューされた人たちが心を開いたのは、三浦しをんの質問がおざなりのものでなく、真に根源的だと伝わったからだと思います!

仕事に打ち込む理由の根底には、「自分という存在を証したい」「だれかとつながりたい」といった思いがあるのではないか。その思いの表れ方や実現の方法はさまざまだから、「こうすれば効率がいいですよ」と画一的に提示できるものではない。
そう考えると、あらゆる職業が内包する「個別性」と「他者への説明・伝達の困難」は、人間が抱える個別性と困難そのものなのだなと思えてくる。


むむむ、私自信の仕事への向き合い方、大丈夫か?



2015年

01月12日

(月曜日)

どっちにしようかと考えていたら・・・

2月7日(土)は休みなので、近くで開かれる気になるイベントに参加しようと考えておりましたら
市原市人権・男女共同参画フォーラムの講演会「生きながら生まれ変わる」の講師
米良美一が体調不良のため中止と知りました、残念。
大丈夫なんだろうか。。。
chirashi_2014.png

もう一つは朝日カルチャーセンター千葉公開講座
角田光代・中村うさぎ対談「女に生まれて」
0103-1050.jpg

面白そうだ! だが、参加費が会員3240円、一般3780円って、高すぎませんか、ぷんすか。

2015年

01月11日

(日曜日)

gone girl

20140911103250.jpg
デヴィッド・フィンチャーの新作と聞いて関心あったものの放置していたら
職場の同僚から話を聞いてモチベーション一気に上昇。

こちらも「0.5ミリ」同様けっこう長い。が、全く飽かず、途中で展開が読めたと思っても
そのまま引きずられます。さすがフィンチャー、うまいです。

原作を読んだ同僚の話では、ヒッチコックの「めまい」のモチーフが出てくるとか
なるほどなるほど、映画でもヒッチコックをかなり意識してると思われます。
確かにファム・ファタールのエイミー役、ロザムンド・パイクは
ヒッチコック時代より精神病理学上の分析が複雑になっていると思われる役柄を体現しているのでしょう。
だから、観客は巷間にあふれる俄か仕込みの心理学・病理学的なイメージで、彼女の行動を予測できてしまうかも。
「めまい」のキム・ノヴァクは
観客を魅入らせる魔性の女っぷりが半端じゃなかったので
比較しても仕方がないけれど
そのあたりで映画の醍醐味が異なってしまい、少し寂しい気もしますが。。。
(こちらがスレてしまったのか?)
ヒッチコックは清純な女優が翻弄される筋立てが好きな監督だから(苦笑)
妖艶なキムの魅力を認めていなかったという話もあるようですが。

それにつけても、ベン・アフレック、いつにもましてダメンズで間抜け役がはまってます。

2015年

01月06日

(火曜日)

「0.5ミリ」

0,5mm

たっぷり2時間半、観終わった後は濃い短編を3本観たような気分。
介護映画と思っていくといい意味で裏切られます。
が、監督の熱さと役者陣の熱さに、文句を言わさぬ力技に、
少々腰が引けてしまいましたが。
津川雅彦にしゃべらせ過ぎでは?

とはいえ、どうして日本の老人映画は華やかさとは真逆なんだ?
本編上映の前に見た「トレヴィの泉で二度目の恋を」(なんて芸のない邦題)のような
老人が主役で恋愛する、あえて言うなら正統派のロマンティックな映画は
日本ではなかなか作られないですな・・・いや、見たいわけじゃないが・・・
pic_15_trevi.jpg

2015年

01月01日

(木曜日)

戦後70年目の年が明けました。

年末の慌ただしい選挙の結果、今年はさらに先行き不安が募ります。
そんな気持ちをあらわすように、
初日の出が見られたところ少なく寒さが厳しい元旦となったようです。

とにもかくにも新年を無事迎えられてことほぎまする。

昨年末に転居したので初詣は散歩がてらに初お目見えの穴川神社へ。
無宗教ですが昔から近所の小さな神社へ顔を出しております。
これまで住んでいたところの神社ではほとんど人に出会うことなくひっそりしていましたが、
穴川神社は小さな境内ながら地元の人たちに愛されている雰囲気で、
千葉の酒「梅一輪」や甘酒が参拝者に振舞われており(そこか?)
すっかりファンになってしまいました。

12月初めに訪れた京都下鴨神社は遷宮が近いこともあり、
人出が多く、紅葉が終わったというのに糺すの森も賑やかでした。

寺社を巡ると開祖や祀られる神、所縁の人物や辺りの自然や気配に
ひとときの間身をゆだね、悠久の流れと現実社会のうねりの相関関係に
思いを馳せたりすることもありますが、その場限り・・・
その場で感じたことを記憶の隅に残して、
熟成したり発酵させたりすることが苦手です。
されど、今年はどこかで踏ん張って熟考せねば、
危うい状況になるのではないかと
懸念しています。。。


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