SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2013年

10月25日

(金曜日)

ベニシアさんの四季の庭

いや~、おのれの先入観の甘さにち~とばかしやられましたわ。

たまたま見たことがある程度の「猫のしっぽカエルの手」
在日イギリス人女性が京都大原でエコ生活してはるんやな~
ぐらいにしか思うてまへんでした。

千葉劇場のたまったポイントの有効期限が今月いっぱいで、
待ち望んでいる「もう一人の息子」は来月上映やしな~
せっかくのポイント捨てるのもったいない、
今日は休みやし、しゃあない「ベニシアさんの四季の庭」でも見てこよかな~
思て、見てきましてん。

ベニシア


ほたらな、前半は予想通りベニシアさんの日常が淡々と描かれててな、
そんでもはんなりええ感じで、「いや~ベニシアはイギリス貴族やったんか」
「ベニシアはヒッピーやったんか」、て、のん気に見てましてん。

演出の妙ちゅうことやろ思いますねんけど
後半のベニシア人生の波乱万丈が不意打ちな感じで、
ベニシアの家族の問題がポロポロ出てきて
観客のほとんどはびっくりしたやろと思いますやん、ほんまの話。

娘はんの心の病、再婚した夫の別の女性への真剣な恋と出奔と瀕死の事故・・・
TVではこれらのエピソードは放送されてますのん?

60歳過ぎた女の人生が平々凡々でなかったろうとは想像にかたくおへんけど
それでもなんとか受け入れて、「許すことは過去を捨てること」と思い定めて
なんとか前を向いて生きてきはったんやね~

ベニシアはんの生き方に諸手を挙げて賞賛はでけへんけど
人生の困難を試練と受け入れていくたくましさは見習いたいと思いましたわ。
好き易の飽き易のわたしにはようできへんし、逃げますけどな。。。

ほんでな、今借りて読んでるコミックの現場がまさしく京都ですねん、またもやシンクロ?

「おはようおかえり」鳥飼茜
おはようおかえり



2013年

10月24日

(木曜日)

政と源

三浦しをんの新作「政と源」
政と源

今男同士のバディものを書かせたら右にも左にも出るものがいないとわたしが勝手に推挙する三浦しをんの真骨頂!(この本を読んでいるとことば使いも爺臭くなってきやがる、いや元々か)
ストーリーは軽快で安心して読めます。
じいさん二人のやりとりや下町人情の機微や若い弟子の徹平の心根なども相変わらずうまくて、逆にさらっとしすぎて物足りなさを感じるがどっこい深さもあります。「神去なあなあ」であまり知られていない林業をとりあげたましたが、今回は「つまみ簪」、文章だけなのに源二郎が作り出す簪が眼に浮かんできます。(章の始めに描かれる登場人物のイラストが美しすぎて本文のイメージとのギャップがあるのはこちらの問題か?)

わたしが「おお!」と反応したところが一箇所。
「仕事一筋で家族のために」わき目も振らず働いてきたと自負するも今や妻や子どもに見放されて寂しい一人暮らしの憂き目にあっている国政が、今の境遇が身から出た錆と自覚せず全く不本意なことだと不満げで、幼なじみで腐れ縁が続く源二郎に尻を叩かれて別居中の妻に会いに行き、そしてしっぺ返しを食らうところ。

久しぶりに会った妻に、無難な話題として長女の子どもの話を振り「もう一人生むつもりはないのかな。~せいちゃんも弟が欲しいだろう」と何気なく言ったつもりが、妻の逆鱗に触れ猛反撃されます。
「あなたはそうやって、いつもデリカシーのないことばかり言って!」「だいたい『弟』ってなんです。男じゃないとだめなんですか。ええ、そうでしょうね。私も息子ができなかったせいで、ずいぶん責められましたもんね」
おお、三浦しをんの面目躍如。

2~3ヶ月に一度会って遊ぶ友人との最近の話題にリンクしていて思わず国政の妻に拍手しました。友人たちはおそらく“ジェンダー”“フェミ”ということばになじみがない日々の生活を送っていると思いますが、彼女たちのは本質的にぐるっとまるっとフェミを体現していると思うところ大です。
“ことば”によって共通理解できることは多いし大切なのは当然。とはいえ“ことば”にとらわれて限定されたイメージで自縛してしまったら元も子もないな、と最近思うことがあったから、なおさら、彼女たちの生活に根ざしておおらかに発露される精神にいつも力もらいます。お二人さん、「政と源」のように悪態つきあいながらこれからもよろしく!またおバカ映画や芝居みようね!(って、読んでないな、たぶん)

2013年

10月24日

(木曜日)

女性に対する暴力をなくす運動

毎年、11月12日から11月25日までの2週間 (11月25日は「女性に対する暴力撤廃国際日」)は、内閣府等が主唱する「女性に対する暴力をなくす運動」の実施期間です。
千葉市男女共同参画センターの情報資料センターでは、「暴力を許さない! 体験者の声」と題して、体験者自らが綴った作品、体験者の声が伝わるルポルタージュ等を中心に、約100冊の本を展示・貸出しています。
(展示期間・・・・平成25年12月29日(土)まで)
展示されている資料のリスト

タイトルが気になり読んだ「わたしはノジュオド、10歳で離婚 」。表紙のイスラムの少女の眼力に引き寄せられました。
ノジュオド
少し前にあまり耳慣れない「児童婚」に関する資料のレファレンスを受けてあれこれ探した時にはこの本を見過ごしていて、自分のリサーチの甘さを恥じた次第。(言い訳:この本が出版・所蔵された頃にいなかったので記憶になかった・・・)

新出のキーワードは、漠然とした既存の概念に“ことば”が付され意味づけされたものや、既存のことばを言い換えたり膨らませて意味が更新されていたりすることが多いと考え、最近の情報はネットで探し“児童虐待”や“児童買春”“性虐待”“イスラム”などの図書にあたってみました。
その時「わたしはノジュオド~」にたどり着けなかったのは、この本が“離婚”の項に配されていて、見当つけられなかった私の頭の硬さと思考の浅さゆえ。。。
イスラム社会では一夫多妻ということは広く知られていますが、若年(時に10歳未満も)の妻をもつことも当た り前とされていることは、あまり周知されていないかもしれません。ノジュオドはイエメンの貧困家庭に生まれ10歳で強制的に結婚させられながら自ら裁判所に飛び込んで離婚を勝ち取った少女。。。

たまたま少し前に見た「砂漠でサーモンフィッシング」の舞台もイエメンで、ラッセ・ハルストレム監督のヒューマンストーリーにしばしイエメンに思いを馳せていたところでした。
厳しい状況から逃げ延びたもののいまだ自由に人生を選択できないノジュオドの現実とのギャップを思うと、暢気に映画を語ることははばかられるものの、イエメンという遠い国をかなり身近に感じることができました。
サーモン

2013年

10月20日

(日曜日)

メディアリテラシーについて感じたこと

台風が続々来る間に晴れ間がありまたも雨、台風が去ったら冬になりそうな気配。
日本の四季はもはや消えつつあるようで。。。

日々雑事とお楽しみにかまけて過ぎてゆき、気がつけば10日あまりブログの更新怠っておりました。。。

当ブログに書くには不適切な映画ばかり見ておりますが、
どうにかセーフ?な映画を見ました。

美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~」at UPLINK

美輪

 年末の国民的イベントとされているNHKの某番組で「ヨイトマケ」を歌い一躍注目浴びた美輪明宏に関する番組が今年になって多く制作放映されています。私もその一つ見ました。若い頃の彼は(映画では“彼”“彼女”ではなく“MIWA”と呼んでます)気になる存在でしたが、スピリチュアルなたたずまいになってからはほとんど知りませんでした。

 今回のこのドキュメンタリーはフランス人監督による製作、日本のテレビ番組と構成は似ているものの、後半が、日本ではほとんど取り扱われなかったセクシュアルマイノリティの“旗手”としての“MIWA”について。国内のゲイやレズビアンの状況やインタビューが盛り込まれていました。日本のメディア特にTV番組では踏み込めないのか、あえて避けたのか、などなど見終わって、現在の“MIWA”好きの友人たちと話したものです。
 日本の芸能界をメディアリテラシーの視点で見直す作業は多くなされていますが、“MIWA”に関する情報も操作されているようですね~

 もうひとつのメディアリテラシーは森美術館の問題。
これまで何度も繰り返されてきた“表現の自由”と人権問題や他者の尊厳。
二項対立として落とし込まれてきたこと、では済まないです。
この本で、何を強く問題としているかは執筆者の立ち位置で差はありますが、
“森美術館”が象徴する“芸術表現の自由”を標榜する側の対応は
旧態依然でかつ真摯さが欠けているようです。

 このことについてネット上でもしばらく激しい書き込み等があったようですが
根性無しの私は web 上の論争を読むことが苦行なのでパスしていたら、
しっかり検証してくれたブックレットが出版されて助かりました。
回し読みして職場でも同僚とあれこれ話すことができました。
“芸術”“アート”に関心がある方、ぜひご一読を。

『森美術館問題と性暴力表現』
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2013年

10月07日

(月曜日)

モローとルオー 

汐留ミュージアムPanasonicで開催中のモローとルオー -聖なるものの継承と変容-千葉市美術館の「ジョルジュ・ルオー展」が提携しているそうな。

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先日、友人の知り合いが関係するバンド(Cheese cake)のライヴを渋谷に見に行く前に
汐留に行ってきました。
大昔に一時期憧れた象徴主義の画家たちの中でも極めつけの画家
ギュスターヴ・モローの作品を生でたっぷり見られる、とあってはいかずにいられません。
今回展示作品はそれほど多くはないけれど、
彼の作品の根本を窺い知ることができるような作品があって
地味ながら興味深かったです。

彼は晩年国立美術学校で教職につき多くの画家を育てたことでも知られていますが
(当時の彼の教室の大勢の学生達と一緒に撮られた写真には
残念ながらやはり、女性は一人もいないようでした)
彼は当時主流のアカデミックな芸術論に対抗して、デッサン不要を説き
マチスやルオーをはじめとする学生達の自由な表現を支持して励ましたそうな。

「溶解した色から浮かび上がるものを描き、彼の色と線は
夢や憧れ、あるいは予感や不安を呼び起こし、視る者の神経に働きかけて
感情をわななかせることを目指していた」そうな。
幾点かの「油彩の下絵」を見ると、
おお、SpaceF・わひねのアーティスティックワークの一つ「たらし絵」のイメージ!
モローさんもご同輩なのね!!と不遜にも我田引水^^V

かれもまたファム・ファタール(宿命の女)を描くことに執着し
神話性の中に寓意をこめてエロスを強調するだけでなく教訓的でもあった、
という解説を読むと、やはり19世紀の芸術の限界を感じもしますが。。。
若い頃は、“耽美、退廃的なもの”に、いいようもなく惹かれるものです。
まさにモローの術中にはまっていた自分がちと悔しいです。

ルオーの絵の中に引き込まれる激しくも暗いタッチにも揺さぶられます。

今回、モローがクリュニー美術館の「貴婦人と一角獣」に触発されて
たくさんの一角獣をモチーフに作品を残していることをあらためて知り
6月にあのタピスリー見ていたことでイメージが膨らみました。

モロー亡き後ルオーが長く館長をつとめたというモロー美術館
10数年前に訪れた時はくしくも国家公務員のストライキで閉館しており
入ることが叶いませんでした、なんと間の悪い。
いつかまた行くことができたら色の重なりの精緻な世界にどっぷり浸りたいものです。

蛇足ながら
渋谷道玄坂の先の円山町、昔は大ラブホテル街でしたよね?(よくは知りませんが?)
昨今の不景気なご時勢、かつ、若者の草食化?の趨勢か
ラブホテルの経営も大変なのでしょうか
あの円山町が今やライブハウススポットに変わりつつあるようで、
いたるところ開演前の列ができており、オバサン二人きょろきょろ
若者の欲望の現在にしばしあれこれ思いを馳せたりして
なかなか意味深い?1日を過ごすことができて満足。

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