SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2011年

09月28日

(水曜日)

秋は映画祭 part2 見たい映画もこれから続々

東京ごはん映画祭が東京写真美術館で10月8日~23日開かれます。
top_imageごはん映画祭
見損なった映画ももう一度見たい映画も目白押し

お気に入りのマイク・リー監督の「家族の庭」もみたい。
main家族の庭

サンダンス映画祭グランプリ作品「ウィンターズ・ボーン」も来ますね~
ウィンターズ

2011年

09月28日

(水曜日)

uplink 二本立て

UPLINKで映画はしごして大満足

まずは「木漏れ日の家で」 20110303006fl00006viewrsz150x.jpg

重そうでちょっと避けていたこの映画、観てよかった~大満足です。
もしかすると今年の マイベストかも。
ブランコ乗りたくなった(ブランコの揺れ苦手だったのに)
91歳のアニエル、ブラボーです。
愛犬のフィラデルフィアのウルウル眼に不覚にも泣いちまったぜ。

二本目は 「exit through the gift shop」 bg_topcontents2.jpg

ストリートアート(グラフィティアート)のトップ、
バンクシーの作品がもっと見られたらよかったけど
“アート”の胡散臭さと、リアルタイムで進行する“アート”ノ面白さを、
バンクシーがどんな風に切り取ったのか、狙いはどこか興味津々
いや~この二本立、我ながらヤッタネ!

UPLINK、ただいまの他の上映作品も面白そうです。
「ドーバーばばぁ」 bg.jpg

2011年

09月27日

(火曜日)

アーティスティックワーク2011@女の空間NPO

先週の9月23日、NPO法人「女の空間NPO」でアーティスティックワーク2011を実施しました。

今年のアーティスティックワーク2011は震災プロジェクトとしての意味をもって企画しています。
被災地以外のところでもいろんなストレスを感じている人たちが大勢いる中
特に育児・子育て中の親たちは、自分自身の内面にストレスを受けただけでなく
子どもを育てる環境への様々な影響に日々大きな不安もあります。

今回の参加者の中にそういった方々もいて、ワークショップの中で
自分がどれだけそういうストレスを内に抱えていたかを自覚して
向き合うことへの第一歩を踏み出したという人も。
またこのワークに没頭することで気分転換できたらいいんですが。

3・11をキーワードとする絵描きしりとり
→キーワードからイメージする絵(線や点、サインでもOK)を描いて次の人に回す
回ってきた絵から触発されたイメージを描き足す→グループ内で繰り返す
→初めに自分が描いたものが戻ってきたら自分で仕上げる

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最後はグループでたらし絵の共同制作
あなたは何が見えてきますか?

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このアーティスティックワーク2011、次は国立女性教育会館フォーラムで実施します。
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2011年

09月26日

(月曜日)

連休が終わって

世間では3連休が続いておりましたが、同居人や私は暦の休みとは無縁
とは言うものの当方の関心事がうまく合えばトコトコ出かけました。

19日は都内の用事が早めに済んでさようなら原発1000万人アクション主催の
さようなら原発5万人集会に行ってみました。(ミーハーな自己満足だと思いつつ)
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時間も過ぎていたし、どえりゃー人出で、公園の片隅になんとか入れたものの
壇上で次々に語る人の話は途切れ途切れしか聞こえないので
周りのいろんな人の動きウォッチング。
前方の熱気も伝わってくるものの少しは温度差があって
グループで談笑する人やベビーカーの子どもをあやす人、おやつ交換したりする人も。
わたしのように一人で参加する同世代の女性もけっこういました。
(デモを、主催側が“パレード”と言うのは“平和的穏健”狙い?)

日曜日の18日に西洋美術館の「古代ギリシャ展」に行ったらかなりの人出で、
国立近代美術館の「イケムラレイコ うつりゆくもの」は平日に。

ギリシャ展 img_body201107_1ギリシャ イケムラレイコ展 イケムラ

ギリシャ展はみどころとされている本命の彫像群より
当時の市民の生活の一端をうかがい知ることができる
日用品を含む幅広い造形物の方にもっぱら興味が湧きました。
人間の愛と欲望のおおらかな表現が見られ
特殊分野に異常反応する私のアンテナが高感度。
『おおっ国立の美術館で、さりげなく大胆なコメントがそこかしこに、ほわ~』

イケムラレイコ展では、作品への説明はいっさい無く
観る人が受ける印象を自分で自由に拡げられる。
平日でゆっくりゆったり見られて満足。

ギリシャ展は関東では終了、イケムラレイコ展は10月もやってます。

2011年

09月22日

(木曜日)

秋は映画祭

10月は気になる映画祭が続きます。

第24回東京国際女性映画祭
2011年10月23日(日)~26日(水)

あなたのひとこと あなたのひとこと
  
   そんなふうに見えない そんなふうに見えない  
  
              明日のプラン 明日のプラン
などなど

日程が前後しますがフィンランド映画祭2011 
2011年10月2日(日)~7日(金)

プリンセス photo_l3プリンセス

    グッド・サン グッド・サン

      マダム・ヘッラ マダム・ヘッラ

などなど、フィンランド特有のブラックユーモアに興味ありです。

2011年

09月21日

(水曜日)

ドラマ

台風も関東ではどうやら峠を越した様子、
これから東北地方に被害が出なければ良いが。。。

最近少し時間の余裕ができて
深夜のドラマなんぞチェックして録画しておりました。
ただただ「森山未来主演」に反応して予約録画した「モテキ」
けっこうはまりました。原作コミックは全く知りませぬが^^;
森山未来演ずる藤本幸世の表面能面内面モヤモヤドギマギのナレーションと
幸世の思い切り自己チューな女性観の上を行く女の子たちが良かった!

幸世は、いったいどうすんのよ、コイツ!?と思って目が離せず
いつかちゃんも土井さんも夏樹ちゃんも、登場したときには
なんだこいつらとあきれたり突っ込んだりしたものの、
役者がうまいのかシナリオの造形がうまいのか、どんどん輝いてきて。
“妄想”好きとしては、幸世の脳内暴走にヤラレタのかもしれませぬ

わたしとしては最終回に、決してうまい役者さんとは思わねど気になる
「SP]の“公安”の野間口徹がチラッと出てきてふぉ~

映画化され森山未来のTV露出が多くあらあら付き合いきれないわ~

2011年

09月20日

(火曜日)

記憶すること

最近記憶力低下にいっそう拍車がかかっており、記憶保管庫?もザル状態。
そんなわたしが保管庫に残っていたものを見つけ
ちょっと救われた?気がしたのが、先日聴いてきた辛淑玉さんの話。

講演会「震災で見えてきたこと~女の目線、男の目線~」

会場の8割以上が辛さんの話を初めて聴く人ということもあってか
いつも以上に柔らかで静かな語り口。
(いつもながら自虐ネタも振りまき笑いのツボもしっかり抑えつつ)

いろんなところでいろんな人が被災地の現状を伝えています。
半年たっても足踏みどころか悪化している状況の中で
情報に疲弊して私は「またか」と思っていないだろうか。。。
そうやって情報に鈍化していくことが誰かの思惑通り?

が、辛さんの目線からの話は、
おそらく会場にいた人にとっては目から鱗が何枚もはがれただろう。
3・11以後辛さんは何度も東北へ出かけているそうです。
政治やメディアに、いつも一番弱い立場に置き去りにされている人たち、
見えなくされている人たちを見つけ出し寄り添います。
外国人籍の人は死傷者としてカウントされていないこと、
障害者手帳を持っていた人の死傷者行方不明者の割合が多いこと、などなど
あらためて、これまで見えなかったことがさらに見えなくなる被災地。

福島の一番大きな避難所(ビッグパレット)に小さな女性だけの場所ができたとき
多くの男性から「なぜ女だけが優遇されるのか」と抗議の声があがったそうです。
よく言われるように、
「これまで家族を養う大きな責任を背負わされ“仕事”を生甲斐にしてきた男性は、
生活”の術や時間の使い方を学ぶ機会を許されなかったため
震災で全てを奪われてしまった今、喪失感の中で精神的に荒れていて
弱さを口にすることができず弱者へそのはけ口をぶつけて暴力を振るっていく・・・
オトコに泣き言を言わせず追い込み、全てを背負わせ、
“女みたい”と言われることを避け続けさせ
オンナからはもの言う機会を奪っている社会、どちらも不幸になるばかり。

女性に対する暴力被害者のためのホットラインが開設されて
一番多かったのは、阪神淡路大震災の際に被害を受けた女性たちが
当時のフラッシュバックに襲われてかけてくる電話だそうです。
現在仮設住宅や避難所で同じような被害を受けている人たちはまだまだ
電話をかける余裕さえないと想像するに難くない。

辛さんがさらに心配するのは、各地の自治体職員の疲弊です。
震災でなくなった職員は殉教者扱いされ美談となり、残った職員は
死ぬほどがんばらないとバッシングされる、
一般市民からもメディアからも、彼らを守るべき政治家からも
一番叩きやすい彼らは誰にも抵抗できない・・・
公務員研修をした際職員の一人が
「誰かにしがみつきたい気持ちを必死で抑えている、
自分が怖いと言うと住民がパニックになるから」と語ったそうです。
そんな思いを抱え込んで折れてしまう自殺者も増えている。

さらに、
福島県差別という、これまでの様々な差別がまたここで繰り返されていると。
“恐怖”をこらえきれず排除することで避けようとする。

10年ほど前の冬、辛さんはイラクで香田証生さんが殺害されたニュースに
「自分が殺したと思った」と、内なる激しい憤りを抑制した口調で
なんども語っていました。
今回も、放射性物質への危惧からくる排除・差別意識の根っこにある差別感が
当時と状況が変わっていないことを強く訴えています。
私も当時同じように感じていたので辛さんの言葉に救われたことを
思い返し、記憶の大切さをつくづく認識した。
(留め置けよ、私の脳!)

辛さんはいつも客席に問いかけます。
どんな答えにも、時には確信犯的な反駁にも真摯に応えます。
来場者からの質問も呼びかけます。
相手の問いにストレートな回答とは受け取れないかもしれないが
質問の意図より細かくあるいは大きく問題点を的確に捉えて
来場者がさらに深く考えられるような話をします。
その静かな語り口は、私のなかにじわ~っと染み入り
充電切れの頭に栄養を与えてくれる気がして
また辛さんに遭いたくなるんだよな~

2011年

09月17日

(土曜日)

石内都さんの話

元々旧来の座学が苦手で講演会なんぞも苦手です。
瞬間的に影響を受けて沈思熟考しない性質なもんで、
咀嚼しないまま周囲に受け売りを吹聴して、後で後悔したり。。。

自分の感覚で気に入っている事柄についての情報もあまり収集蓄積できまっせん。
記憶中枢?の欠陥大きく、見て感じて、消える・・・の様相がますます進んでおります。

で、バタバタしていて、そんな私が楽しみにでかけた千代田区MIWの講座
大いに聴き入った石内都さんの話も霧散してしまうところだった、やれやれ。

以前「ひろしま」写真展を見たときに圧倒された作品にまつわる話や
彼女の来歴もさることながら
助手もスタッフもスタジオも持たず(写真展用大型のプリントは外注もあり)
作品全てが自然光で撮影され、作業も彼女一人の手で創作されていると知って驚く。

石内さんが「ひろしま」のテーマに取り組む際、
“原爆・広島”の歴史的(負の)イメージと違う視点を模索する中で出会ったのは、
原爆資料館に保管されている、当時の人びと(特に女性たち)の日々の生活用品。
中でも皮膚感覚が生々しく伝わる数々、
色鮮やかな手製のワンピースやブラウス、同生地で作られたくるみボタン、
大事に繕われた背広や手袋などなどは、まさに原爆投下直前まで
当たり前に生きていた人びとの生きる営みが、現代と同じ普遍的なものだと
静かに深く私たちに意識させてくれる。
「ひろしま」というタイトルを前にすると日本人のみならず、
誰しも少なからず身構えてしまうけれど、それは事実を見間違え、ともすると
「ひろしま」を貶めることになりかねない、と石内さんは語る。
写真集を手にする人も、ページを開くと、思わず
“キレイ!”“カワイイ”と口にしたくなったはず。それが石内さんの狙い。
「不謹慎かしら」などと思わなくてもいいんだよって。

 「ひろしまひろしま    「Mother's石内都

今年の秋から半年カナダのバンクーバーで「ひろしま」写真展が開かれるとのこと。
そのポスターデザインに当初「ひろしま」と「Hiroshima」が同列に書かれており
石内さんは「ひろしま」の下に小さくルビとして英字を書くよう求めて強く交渉したとのこと。
“原爆”“広島”への先入観を抜きにして
「ひろしま」をそのまま受け入れてほしいという願いを込めて。

「Mother's」は、存命中の母親との関係があまり良くなかった石内さんが
母を喪って、その喪失感の想像以上の大きさにとまどい、
遺品と向き合い対話する中で撮影したもの。
そのほとんどは下着や化粧品で、皮膚感覚そのもの、とてもシンプルで美しい。
写真展で見たときの印象が今回石内さん自身のことばによって、
忘れられないものに増幅された。
多くの女性が自分の母親の遺品を前にして覚えたであろう葛藤の記憶を思い起こして
胸の中でいろんな対話を始めるきっかけとなったかもしれない。
そんな女性たちの思いが作品を自立させていく力となったのか
石内さんは「Mother's」は発表の機会を重ねるごとに
自分の私物から解き放されていくと実感しているそうだ。

石内さんは撮影する中で母というより同じ“女”として理解するようになり
長年の確執やわだかまりから自分と母を救い出せたのだろう。
そこから新たな関係を築けなかった後悔も残るかもしれないが
それも受け入れるしかない。

私はモノに思い入れがあまり無い性分で、
母の残したもので自分が使えそうなもの以外はほとんど処分してしまい、
あとは頼りにならない自分の記憶だけしかなく
母に対する複雑な感情もほとんど残っておらず
母は自分の娘の不人情に呆れていることだろう。

ちなみに、男性が見ると“母”の中に“女”をみることに畏れ?怖れを抱くのか
居心地悪くなるそうな、なんだかな~

明日は、モノがわかったつもりの多くの男性たち(トホホな女である私も含む)を
確信犯的に居心地悪くさせて、その後“転向”させる達人の
辛淑玉さんの話を聴きにいく!
9月18日(日)14時~16時
「はばたき21」 台東区立男女平等推進プラザ
「2011男女平等推進フォーラム」辛淑玉さんの
講演会「震災で見えてきたこと~女の目線、男の目線~」




2011年

09月11日

(日曜日)

半年、2つの11

今朝の毎日新聞のコラムは浜矩子さん

時代の風:犠牲者たる市民の力=同志社大教授・浜矩子
 ◇二つの「11」の教訓
 2011年9月11日。01年9月11日から10年。そして11年3月11日から半年が過ぎた。今日のこの日、9・11と3・11について、さぞかし、各方面で多くのことが思われ、語られ、書かれることだろう。
 
 9・11はいわずと知れたニューヨークのワールド・トレード・センタービル崩落の日。3・11はいうまでもなく東日本大震災の発生日だ。この両者を、ことさらに関係づけて語ろうとすることはこじつけだ。その気になれば、あれこれの共通点を見いだすことはできるだろう。だが、「11」の語呂合わせに魅入られるあまりに、妙な通底性を探り出そうとするのも、ちょっと危険かなと思う。

 そう言いながら、「11」合わせは、ある種の天啓かなと思ってしまう面もある。天警と言った方がいいかもしれない。このままでいいのか。これでいいのか。これしかないのか。そんな厳しい問いかけが、二つの「11」において激しく形をなした。そのように受け止めるべきかと自問する。

 かくして、思いがぐるぐる巡る中、気がつくことが二つある。その二つのことを表現するキーワードは、一に犠牲者。そして二に市民である。

 二つの「11」の大惨事において、犠牲となった人々には、何の罪もない。彼らはそこにいただけである。仮に、あの体当たりテロ攻撃が当時のアメリカの一国主義に挑発された行動だったにせよ、その犠牲者がすべて一国主義者だったわけではない。あの時、建物の中にいた人々も、そこに突っ込んだ飛行機の乗客たちも、皆、とてつもない巻き添えを食った。彼らが彼らとして、攻撃目標だったという話ではない。

 東日本大震災についても、しかりだ。その犠牲となったあまりにも数多くの人々に、何らかの当事者責任があったわけではない。津波の高さを甘く見積もったのは、彼らではない。原発事故を想定外に置いたのも、彼らではない。

 戦時においても、結局そうだ。痛み、苦しみ、死んでいく犠牲者の圧倒的多くは、暴力的なたくらみの首謀者でもなければ、交戦当事者でもない。彼らの犠牲から、痛烈な教訓を肝に銘じるべき人々は別にいる。それらの人々は、犠牲者たちの叫びとうめきから何を聞き取り、何を学ぶのか。

 9・11直後において、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は、「アメリカに味方しないものはアメリカの敵だ」と言い放った。そしてイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」だと決めつけた。こんなケンカ腰から、何が生まれるのか。それは、新たな報復の連鎖でしかありえなかった。その連鎖をせき止めようとしたかにみえたオバマ大統領は、今、どのような構えで9・11後10年の世界と向き合おうとしているのか。それが次第に判然としなくなっている。

 3・11から半年がたった今、国難だなどと言いながら、日本の政治は何事もなかったかのごとく、茶番の「復興」に余念がない。仲間内の「ノーサイド」形成にやたらと力が注がれる中、一体誰が「被災者サイド」に立って物事を前進させていくというのか。

 震災後、日本は内向きになり過ぎていけない。そんな言い方もよくされる。だが、国難だというなら、そこに全神経が集中するのは当然だ。こんな時、政治が早過ぎる通常営業に立ち戻っていいのか。

 二つ目のキーワードが市民である。救いは市民にあり。この点では、二つの「11」に大いに共通点がある。

 9・11後のアメリカは、武力介入をてこに中東世界の民主化を進めようとした。イラクで、アフガンで。そして、それらの試みはいずれも結局のところらちが明かない。使命を終えたと称して、撤退するしかないという結果に終わっている。

 それに引き換え、今年の年初に中東・北アフリカを席巻した「アラブの春」の成果はどうか。むろん、これからどうなるという大問題はある。泥沼化が気掛かりな側面もある。だが、それはそれとして、蜂起した市民たちは独裁者を次々と追い詰めてきた。大いなる連帯の強固さを天下に示した。アメリカの武力が勝ち取り得なかった民主化。市民たちが、それを独裁体制の呪縛の奥底からもぎ取ってみせた。

 3・11後の日本においてはどうか。世界の称賛を浴び、その敬意と驚異の対象となったのは、まさしく、被災地の市民たちの姿であった。耐える彼ら。分かち合う彼ら。

 人は衣食足りて礼節を知るという。ところが、被災地の市民たちは最も衣食欠乏し、最も深い絶望のふちに身を置く中で、その礼節の根強さを世界に示した。最も自分のことしか考えられない時に、他人のことを考えた。自分の命が最も大切な時に、他人のためにその命を惜しまず捨てた。そこには、役割の仮面を脱いだ市民たちのすさまじく真摯(しんし)な素顔がある。

 蜂起した中東の市民たちは、独裁体制の犠牲者だった。世界をその礼節で驚嘆させた日本の市民たちは、震災と原発事故の犠牲者である。犠牲となる人々の市民的知性。それが救いをもたらす。これぞ、二つの「11」から受け止めるべきメッセージだ。


各地でこの日への思いが語られたことでしょう。

今夜、千葉の限られた範囲(中央区・花見川区・稲毛区)で
直下型の地震があり震度3にしてはドスンと来ました。
地震に対して妙な免疫?ができてしまって、危険に備える意識が
少しずつ鈍化していくにしたがい、
被災地への共感度も下がっていることが、情けない一方で
そういう人間の情理を踏まえた上で、仕切り直し続けていく術で
ゆっくり地味に動いていきなんとか折り合いをつけている日々。

そんなことを思いながら夜、なでしこジャパンの試合を見ると
ここにも政治の身勝手さを感じずにいられませぬ。
この夏日本を沸かせた、なでしこジャパンの一般市民への浸透はすごくって、
バイト先の先輩女性たちの昨今の話題はもっぱら女子サッカー!
試合の結果のみならず、
なでしこたちの今に至る努力がメディアでたっぷり語られているのか
(その辺はテレビ視聴が少ない私は門外漢)賞賛が熱いです。
彼女たちの奮闘への関心と、北朝鮮の選手たちへの同情が、
新しい団体競技ならではの、
各国の政治状況があからさまに影響する女子サッカーで
国の枠組みを超えて、政治が“女たち”をどう扱っているかを
知らず知らず意識することにつながっているような気がします。

2011年

09月07日

(水曜日)

9月のお楽しみ

《時間の都合がつく方はぜひ!》
☆9月10日(土)14時~16時
平成23 年度 千代田区男女共同参画センターMIW 講座
「文学、音楽、美術の中にみる男女の生き方」

石内都さんが自らの作品について語る!

石内都

9月18日(日)14時~16時
「はばたき21」 台東区立男女平等推進プラザ
「2011男女平等推進フォーラム」で我らが辛淑玉さんの
講演会「震災で見えてきたこと~女の目線、男の目線~」があります!


☆ 原発にさようなら集会 (さようなら原発1000万人アクション)
9月19日(月・敬老の日)
13:00~ライブ  13:30~集会  14:15~パレード
◎会場  明治公園(東京都新宿区霞ヶ丘町6)
JR「千駄ヶ谷」下車5分
地下鉄大江戸線「国立競技場」(E25)下車2分
地下鉄銀座線「外苑前」下車15分
◎参加費 無料

9月23日(金・休) 13時半~16時
女の空間NPOのおしゃべり会
「アーティスティックワーク2011〜ストレスを感じている心とからだのケア〜
「3.11から あなたが感じていることを誰かと共有してみませんか」


《行きたいな~》
東京都近代美術館 企画展ギャラリー 8月23日(火)~10月23日(日)
「イケムラレイコ うつりゆくもの」

イケムラ

☆おいてますます盛んなシュヴァンクマイエル
ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 〜映画とその周辺〜
ヤン・シュヴァンクマイエル監督の映画「サヴァイヴィングライフ」
観客としておいてけぼりをくらうかもしれないが、シュールな感覚に浸りたい。
今回は日本の“妖怪”に刺激された作品が出展されているとか。
終わらないうちにいけるだろうか。
数年前に葉山にある神奈川県立近代美術館で開催された展覧会では
質・量とも圧倒されたけれど、
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ラフォーレミュージアムはそんなに広くないから
コンパクトに楽しめるか?

2011年

09月03日

(土曜日)

湿った南の風

台風が四国中国地方をかなりゆっくり北上しているようで。
千葉は強い南風が湿気をたっぷり持ってきております。
出かける用事を先送りしてたまった録画を見ておりました。

NHKのドラマ「生むとうまれるそれからのこと」
http://www.nhk.or.jp/drama/umuto/
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柄本佑が主演!?ただそれだけで見た私の感がアタって、むふふ。
きのこヘアが流行る?

ヒリヒリするかとおもいきや、けっこう笑えて◎
セットが作りこんであってなかなか。
小劇場系の戯作者岩井秀人の脚本の世界に柄本佑の“素”のような演技。
一人悦にいってみました

ちょうど10年前の映画「バッファロー・ソルジャーズ 戦争のはじめかた」を見ると、
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ついこの間と思っていたベルリンの壁崩壊時の話なのに
まだ“平和”という言葉が意味を持っていた時代があったんだと隔世の感。
大昔のM★A★S★H マッシュのような能天気さは影を潜めて、
上官はセンソウと人殺しのための名目ならなんでもありで、
一兵卒等は退屈しのぎと目先の金稼ぎにうつつをぬかす。
善悪や正義のカケラもないのは当たり前、ズルさだけで生き延びる、
先が見えても見えなくても。

エド・ハリスが珍しく、覇気も気概もなく弱気な夢見るオジサン軍人役で
間抜けを演じる姿に思わずにやけてしまいました。

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