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SpaceFわひね(wahine) 

一人ひとりが思いを、あるときは共有し、あるときは自由にたゆたう。。そんな場所をめざして 

2019年

04月17日

(水曜日)

これからは…

3月で、自称さすらいのライブラリアンを卒業しました。
一応SpaceFわひねの公式blog?としてこれまで、折につけダラダラと書いて来ましたが、この機会に、区切りをつける事にします。

これからはSpaceFわひねが直接関わるイベントや企画、ワークショップのお知らせを中心に告知していき、当blog管理人の個人的な駄文は控えます。
長い間お目汚し失礼しました。

ありがとうございました。

(個人的な駄文は吐き出していかねば暴発?しかねないので、某所で続けていく所存でございます。何処でお目にとまれば…)

2019年

03月21日

(木曜日)

女たちの美術

いつもは図書館に行っても滞在時間は短い、予約した本を借りてくるだけだから。先日はたまたま時間を潰すために、雑誌コーナーへ。

おや?!芸術新潮今月3月号の表紙が素敵だ。何々、特集「女たちの美術 Female Artist アートに生きる!」とな。
ほう、これは貸し出される来月まで待てない!

芸術新潮女性_l

以前千葉市男女共同参画センターの講座「表現する女性たち」で知ったエリザベト・ヴィジュ・ルブランや、映画にもなったアルテミシアなど16~18世紀の女性画家たちが次々に紹介されている。
日本も含めて近代~現代の画家たちも、取り上げ方がまちまちではあるけれど。。。
もしかすると意図的に外してあるかもしれない画家もいるようではあるけれど。。。

2019年

03月18日

(月曜日)

たちあがる女

立ち上がる女

「菊とギロチン」で、一途な正義感は危うい、と書いたばかり、また同じような主人公が・・・
とは言っても、大人の女は一筋縄ではいかない、なかなか懐が深い主人公だ。
「義を見てせざるは勇無きなり」な"いとこもどき"のオッサンや、たまたま近くにいて巻き添え?食う旅行者も味がある。
現実とファンタジー?のまざり加減がこの監督の持ち味なんだろうか。
アイスランドの自然のスケールが雄大過ぎて圧倒される。
何より主人公ハットラが単身戦う姿がカッコイイ。
こんな顔つき、意志的な眼力の女性が主役の映画見たことあるぞ・・・
「アントニア」「バグダッドカフェ」の主人公そっくりに見えてくる。

この一風変わった映画は、映画好きのおじさんたちにはたまらないだろうなぁ・・・
案の定毎日新聞の映画欄では評判がイイ。

たちあがる女 英雄?道化?闘う母
毎日新聞2019年3月1日 東京夕刊

 弓矢を持って荒野を走る女が1人。つがえた矢をかなたの送電線を目がけて放つ。矢につながったワイヤが送電線をショートさせ、電力を断たれたアルミニウム工場は大混乱。女は追っ手のヘリコプターから隠れながら、現場から逃走した。まるでスパイアクションのような始まり。ところがこの後の展開、意表外の連続なのだ。「馬々と人間たち」でデビューした、アイスランドのベネディクト・エルリングソン監督の新作は、前作に劣らず風変わりだ。

 次の場面、この女ハットラ(ハルドラ・ゲイルハルズドッティル)は、素人合唱団の朗らかな指導者として登場する。こちらが“表”の顔で、過激な環境保護活動家として工場へのテロ活動を繰り返しているのだ。一方、ずっと前に申請していた養子縁組が認められ、ウクライナの少女ニーカを迎えることが決まった。政府のテロリスト追及の手が迫るなか、ハットラは最後の大勝負に挑むことを決め、ウクライナ行きの日も近づいてくる。ハットラの双子の姉やハットラを助ける牧場主らも絡み、政治スリラーと母物語が並走する。

 そして音楽。画面に曲が流れるとどこにでも、演奏する3人組の楽隊や民族衣装の合唱隊が登場する。緊迫感が高まりそうになると肩すかし。微妙なユーモアも流れて、およそ一筋縄ではいかない。

 「馬々と人間たち」でもそうだったように、エルリングソン監督は登場人物に過度の思い入れは示さない。この映画でも、環境破壊と闘う女性を支持しつつ、いささか突き放すように物語の中に放り込む。ハットラは英雄であると同時に道化めいて空回り。おかしくもちょっと悲しく、いとおしい。素朴な感動とは遠いけれど、ありきたりの映画では物足りないという向きは、お試しあれ。
1時間41分。東京・恵比寿ガーデンシネマほかで9日から、大阪・シネ・リーブル梅田で15日から、順次全国で。(勝)

ここに注目
 極めて社会的なテーマ性が強い作品だが、視覚的な面白さと現実離れしたユーモアが満載の快作だ。とにかくアイスランドの大自然をフィーチャーした映像が圧巻で、果てしなく広大な草原、ごつごつした岩山といった空間を捉えるセンスがずば抜けている。そこで繰り広げられるヘリコプターからの逃走、弓矢を駆使した送電線の破壊行為に見入っているうちに、本作が実に優れたアクション映画だということにも気づかされる。いつも犬を連れている牧場主など、反逆の中年ヒロインを手助けする脇役たちもいちいち楽しい。(諭)

技あり
 「馬々と人間たち」も撮ったベルグステイン・ビヨルグルフソン撮影監督は、ドキュメンタリーの撮影や監督、そして製作も手掛ける。自然描写には敏感で、アイスランドの雄大な自然に密着して撮り、見事。またハットラの前後に出没する、楽隊や合唱団にピントを合わせる度合いの計算がうまい。特筆したいのは、ハットラがウクライナの施設を訪ねて、ニーカと会う場面。お絵描きをしているニーカの隣に座り、ニーカが目をあげてハットラを見る。その構図や角度のはまり具合の良さだ。シリアスな内容を風土性と諧謔(かいぎゃく)を交えて撮った。(渡)


藤原帰一の映画愛
たちあがる女 主役は環境テロリスト、人間の不条理包み込む 2019年3月17日
 環境を守るために暴走するヒロインの物語。地球環境は破滅寸前、環境破壊を阻止するためには合法的な手段に訴えたところで効果は期待できない。そんな信念に固まった女性のアクティビストが孤独な戦いに挑むという映画です。

 こんなふうにご紹介すると、なんだか「ワンダーウーマン」のような女性のスーパーヒーローを連想しませんか? おそらく年頃は20代、スタイルが良くて武芸に通じ、秘密兵器も持っている。アメリカン・コミックのヒーローなんてイメージですね。

 でも、この映画の主人公のハットラは、違います。歳(とし)は50歳前後、仕事はコーラスの講師、特別のコスチュームも秘密兵器もありません。スーパーヒーローとは逆さまの、ごく普通の人です。

 とはいえ、やることはすごい。映画冒頭、辺りには誰もいない山の中を送電線が走っているんですが、このハットラ、ひもを結びつけた矢を弓で射て、送電線にひもを引っかけ、先につけた電線を送電線に接触させて、ショートさせる。停電のおかげで、そばにあるアルミ工場は操業中断、自家発電装置の駆動に追い込まれます。

 もちろん非合法な破壊活動ですからハットラは逃げなくちゃいけませんが、その準備はちゃんとできています。草原をひたすら走り回り、ヘリコプターが襲いかかってくると、草むらの下の穴に隠れこむ。逃げていくときに助ける人が都合よく出現するところも含めて、まるでジェームズ・ボンドみたいな活躍です。

 コーラス講師という表の裏は、環境保護のため破壊活動にいそしむ活動家。見方によっては地球を救う英雄でしょうが、別の視点から見れば目的のためには手段を選ばないエコ・テロリストですね。どういう人なんだと気になるところですが、映画はそんな疑問には答えてくれません。

 疑問に答える代わりに登場するのが音楽です。登場するなんて変な言い方ですが、これがまた文字通り、3人の楽隊が画面に登場して、そう、ギリシャ悲劇に出てくるコロスのように、奏でる調べと歌詞によってハットラの内面を伝えてくれる。他の人には見えない楽士が草原に現れるんですから、ずいぶん不条理ですね。

 そこに思いがけない知らせが来ます。ハットラはもう何年も前に養子を求めて応募したんですが、その養子が見つかった、ついてはウクライナまで行ってその子を連れて来てくれないかというんですね。ハットラは、ヨガのインストラクターをしている双子の姉妹に養子の保証人を頼み、いったん破壊活動から身を引く覚悟を決めます。でもアルミ工場をそのままにしておけない。意を決したハットラは予想外の行動に訴えます。

 とぼけた、温かい映画です。環境保護に好意的な映画なのは明らかですけど、別にハットラの破壊活動に与(くみ)するわけではなく、むしろ愚かな行いを続ける人間を外から観察し、変な人だなと面白がりながら受け入れるというスタンスです。ベネディクト・エルリングソン監督の前作「馬々と人間たち」もお酒がほしいので船まで行って、お酒を飲んでそのまま死んじゃう人とか、ずいぶん変わった人が出てくる映画でした。この「たちあがる女」にも同じような味わいがあります。

 そして、自然が美しい。逃亡するハットラが出合う一面の草原の緑と、奥まで続く空の青が目に沁(し)みます。ここにあるのは自然を守ろうというメッセージじゃない。愚かな行いを続ける人間を大きな自然のなかに置いて、遠くから見つめていると言えばいいでしょうか。

 正義のために立ちあがっちゃう映画って、実はそれほど好きじゃありません。それでも、暴走を続けるハットラにはどこかに憎めないところがある。不条理な現実と不条理な人間を温かく包み込む幸せな映画です。(東京大教授)

2019年

03月18日

(月曜日)

菊とギロチン

去年、観ようかどうしようか迷っていて見逃した「菊とギロチン」

キーワードは女相撲とアナーキスト
女相撲?
"アナーキズム"は好物?!

菊とギロチン


毎日映画コンクール授賞式で紹介されて、興味はあったけれど、すでに関東では上映が終了していたので、DVDかネットで見ようと思っていたら、最近週一で通っている飯田橋のギンレイホールで上映中だ!

ギンレイホールはいまだ元気に映画ファンを喜ばせてくれている。
「菊とギロチン」も平日の昼間なのに大盛況だった。

映画は、アナーキストの男たちの、若いがゆえか、思想が上滑りしていた当時の状況からか、ありがちなトホホさがある意味忠実に描かれていて、頭でっかちで一途で短気で自己中心、自己満足、短絡的。。。
そんな情けなさと、現実味の無い夢想に、社会の底辺でもがいている女が惹きつけられる・・・

でも、女たちの残酷な現実の前に、男たちも揺さぶられはする。。
「女の一人も救えなくて、社会を救えるかー」とか言っちゃうんですよね・・・
(わたしだったら、「あんたになんか救われてたまるか!」と啖呵きっちゃうかも)

女たちが女相撲に入る動機やきっかけは様々な事情があるが、共通しているのは「強くなりたい」
相撲取るにはあまりにも細い、小さい、非力、、、なのに皆必死で、鍛錬怠らず、興行の土俵では、見世物や女の裸目当ての男たちも唸らせるほど見ごたえある取り組みを披露するほどだ。
興行の勧進元は「今年はひどい日照りが続いて、雨乞いのために女相撲を呼んだ」という。
「神聖な相撲を女が取ったら、神様が怒りの雨を降らす」という言い伝えがあるそうな。。。

関東大震災直後から始まるこの物語、東京で住まいや生活基盤を失い地方に流れていく貧しい者たち、日清日露戦争に動員されて悲惨な体験を抱えて戻ってきた百姓たち、日本に併合された朝鮮の苛酷な状況から逃れるために流れてきた朝鮮人たちが入り乱れて、複雑に絡んでいく。
アナーキストの先鋒大杉栄の扇動に、若者たちは血をたぎらせて刹那的なテロを企てるも、あまりにも無計画すぎて・・・
彼らは実在の人物で若くして獄死、刑死している者も多い。
彼ら自身が命を軽視していたようにも思えるが、思想に殉ずる生き方に付け入る国家や権力に絡めとられる危険と背中合わせだった、そしてそれは近代から現代にも通じる危うさに違いない。

だから、ギンレイホールにも大勢いた若者たちが「他人事じゃない」と感じ取ってくれれば、この映画に渾身の思いを託したであろう監督も報われるのだろう。思いが強すぎて、いささか冗長じゃないか?と思うのは私だけ?


2019年

03月12日

(火曜日)

バジュランギおじさん

映画好きの友達二人と何を観ようか考えて決めたのがこれ
「バジュランギおじさん」
バシュランギおじさん


パッドマンに続いてインド映画。
主人公はこちらもインド映画らしくマッチョ、だけど弱者への共感性が高いところがインド映画らしいところなのか?
物語もお約束通り山あり谷ありでラストは感動の大団円、だけど、インドの現況へのストレートな問題提起がある。

毎日新聞のコラムより
藤原帰一の映画愛
バジュランギおじさんと、小さな迷子 
宗教と国境を超えた善意と共存の物語ンド映画が元気です。最近の作品だけでも、アーミル・カーン主演の「ダンガル きっと、つよくなる」、ハリウッド顔負けの歴史大スペクタクル「バーフバリ 伝説誕生」と「バーフバリ 王の凱旋(がいせん)」はインドばかりでなく世界各国、日本でもヒットを飛ばしました。見る作品に悩んだらインド映画、なんてもんです。

 今回ご紹介する「バジュランギおじさんと、小さな迷子」も、「ダンガル」や「バーフバリ」に匹敵する大当たりを取った作品です。ストーリーが面白い上に歌あり踊りありとサービス満点、観客の心をつかみ、ちゃんと感動させてくれます。ヒットするのも当然でしょう。

 主人公は、パキスタンの山岳部に住むごく小さな女の子、シャヒーダー。飛び切りかわいらしく元気ですが、話すことができないんですね。お寺で願をかけたら話せるようになると勧められたので、お母さんはシャヒーダーと寺院に向かいますが、寝ているうちにシャヒーダーが列車から降りて、お母さんとはぐれちゃった。おまけに違う列車に乗ったら、着いたところがインドなんです。

 そこに現れたのが、気のいい青年、パワン。ひとりぼっちの子どもを放っておくわけにもいかないので、居候をする家に連れて行く。親が見つかるまで一緒に住むようになります。

 口がきけないのでほんとうの名前がわかりませんから、みんなこの子をムンニと呼び、インドのどこかの子どもなんだろうと決めてかかっていた。ところがクリケットの試合でパキスタンがインドに勝ったら、ムンニが踊り出し、テレビにキッスまでしてしまう。ムンニがパキスタン出身だと分かった一瞬です。

 家の主人はムスリムに厳しく、パキスタンの人を置くわけにはいかないとパワンに伝えます。で、パワンはムンニを親元にとどけるべくパキスタン渡航を計画しますが、誰だか分からない女の子がパスポートを取得できるはずはなく、そもそも渡航ビザが出ない。結局パワンはパスポートなしで越境し、ムンニの親を探す旅に出ます。

 映画の背景には南アジアにおける宗教対立と国際対立があります。インドとパキスタンが英領から分離・独立する時にもヒンドゥー教徒とムスリムの衝突が生まれ、その後も戦争が繰り返されました。現在のインドでは、ヒンドゥー至上主義団体RSSを基盤としたインド人民党が与党。ヒンドゥーとムスリムの共存とはほど遠い現実ですね。

 でも、本来インド政治の原則は政治が宗教から独立することでしたし、映画界も含め、現実インドではヒンドゥー教徒ばかりでなく多くのムスリムが活躍している。仲良くしたっていいじゃないかと思いますよね。で、映画では、善意が宗教の違いを乗り越えてくれるんです。

 パワンは信仰があつく、神様ハヌマーンへの祈りを忘れません。ヒンドゥーの教えのため、モスクとかパキスタンに関わることは考えられない。そのパワンが迷子のムンニを助けるためにモスクに入り、パキスタンに密入国し、おしまいにはムスリムの女性のふりまでする。ムンニを助けるために禁を犯し、法を犯します。

 パワンの姿は、異なる宗教と異なる社会が共存する夢ですね。ヒンドゥー教徒でもムスリムでも、そしてインド人でもパキスタン人でも、人の思いやり、善意には違いがない。現実とはかけ離れた希望に過ぎないと分かっていても、いや現実と違うことが分かっているからこそ、どの社会にも優しい人はいるというストーリーに心を動かされます。

 ヒンドゥー至上主義が広がる現在のインドでも、宗教と国境を越える共存の物語に観客が集まった。救われる思いがしました。(東京大教授)

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